午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
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ヒューストンとアフリカ/故ネルソン・マンデラ氏に捧ぐ
20世紀を代表する偉人がまた一人亡くなった。南アフリカ共和国の元大統領であり、反アパルトヘイト運動に身を捧げてきたネルソン・マンデラ氏である。

もう4年前のことになるが、ヨーロッパを拠点にアフリカ各地を巡る長期出張をしていた。今はわからないが、当時はヨーロッパからサブサハラアフリカに行く場合、一旦南アでトランジットした方が飛行機代が安くなることが多くて、南ア最大の都市、ヨハネスブルグには何度か立ち寄っていた。そして、一度だけヨハネスブルグ市内に入る機会があって、その時、アパルトヘイト下のヨハネスブルグ最大の旧黒人居住区として有名なソウェトを訪れたのだ。一時期よりは改善したとはいえ、圧倒的に貧しいスラムの様子は衝撃的で、同じ都市という空間の中で、ここまで人種間で境遇に差があるのかと感じさせられたことを僕は忘れることができないと思う。そして、そんな絶望的な状況下で、アパルトヘイト撤廃を信じて戦い続けたマンデラ氏の人格にも心からの尊敬を覚えたものだった。

思えば、南アフリカのアパルトヘイトは21世紀的状況を先取りしていた問題だったと思う。というのは、南アでは少数派であった白人が、多数派であった黒人を差別していたのだ。アパルトヘイトが深刻化していた1980年当時で、白人人口470万人に対して、黒人人口は2300万人であったという。そして、現代のアメリカやヨーロッパでは、人口構成という意味では、似たような状況が現出しつつある。ここヒューストンでも、石油ガスブームに乗じて移民が増え続けた結果、最近ついにラティーノと黒人の人口がアングロサクソン系の白人の人口を超え、白人は人口の意味ではマイノリティになりつつある。20世紀後半のアメリカにおいても、マイノリティであった頃の黒人たちが、公民権運動における捨て身の努力によって待遇の改善を図ってきたわけだが、今となっては、道徳的にのみならず人口構成的にも、アメリカは黒人差別の昔に戻ることはできないだろう。

但し、多数派となったマイノリティー達は時に問題の先鋭化を引き起こす。個人的に今年のアメリカを代表する事件の一つだと思っているジョージ・ジマーマン裁判は、全米において改めて黒人差別への反対運動を引き起こしたが、事件の構造としては、ペルー系のラティーノであるジョージ・ジマーマンが、黒人であるトレイボン・マーティン少年を殺害するという事件だった。つまり、事件の加害者も被害者もアメリカ社会における元マイノリティーなわけであり、そうした新しい状況に対して、白人の作った法律や司法制度等の社会システムがどこまで機能できるのかという問題をも提起していたと思うのだ。

一方で、黒人はアフリカは最早、必ずしも持たざる者であるわけではない。ここヒューストンは何といっても世界の石油ガス産業の中心であり、世界中の石油ガス業界と密接なつながりがあるわけだが、それは21世紀の資源大国として存在感を増してきたアフリカも例外ではなく、注意深く見てみると、ナイジェリア、アンゴラ、赤道ギニア、ガーナなどアフリカの新興産油国の企業が進出しており、年に一度はここで、サブサハラアフリカの石油ガス産業に関する最大の会議も開かれている。その結果として、アフリカとの人の移動も盛んで、街で出会う黒人も、実は最近アフリカから来たばかりの移民だったりする。僕がヒューストンでの運転を習ったドライビングスクールの先生も、10年前にナイジェリアから移民したイボ族のナイジェリア人で、ナイジェリア話で盛り上がったものだった。

それでは、最後のフロンティアとして台頭しつつあるアフリカを背景に抱え、ラティーノと合わされば多数派となった黒人はこれからのアメリカ社会でどういった存在となっていくのだろう。少なくとも、黒人の多くが高等教育を受けられず、結果として、他の人種集団と比べて、経済的及び社会的に不利な状況に置かれていることは未だ否定できない。それでも、ネルソン・マンデラ氏が、そして、今年かの有名な演説から50周年を迎えたキング牧師が夢見た平等な社会に近づいていることは間違いないだろう。

かつて、ネルソン・マンデラ氏はこう語っていた。

「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから」

現代の南アフリカで、アメリカで、そしておそらく日本でも、自分の周りに色々な人々がいるんだという自覚からスタートして何を学んでいけるか、それがますます求められていくと思う。

写真は黒人人口が7割を占める都市、ルイジアナ州のニューオーリンズで見つけた黒人美術。

new orleans2


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ニューヨークでアメリカ的であることについて考えてみた
サンクスギビングの連休を利用してニューヨークに行ってきた。恥ずかしながら30歳過ぎて初めてのNY、憧れのスポットの数々に感激するばかりだったが、この街は僕に改めて「アメリカ的であるとはどういうことか?」という疑問を喚起させた。訪れたいくつかの場所を手がかりに、僕なりの初NYについて書いてみたい。

朝のセントラルパーク、よく整備された園内を歩きながら思索にふけってみる。このNYは一見、自分が暮らすテキサスとは随分違う様に見える。それでは、アメリカ全土に共通するアメリカ的なものがあるのだろうか、あるとしたらどんなものだろう。ふと顔を挙げると、大きな池の向こうにNYの町並みが見える。古くからの町並みが残るこのエリアは、建物にもヨーロッパ的なものが多く、セントラルパークを頭の中でハイドパークに置き換えれば、自分が今ロンドンにいる気分になってくる。

central park

そう、やはり様々な面で、アメリカの原点はかつての本国であるヨーロッパなのだ。絵画や演劇といった文化の面でもアメリカ文化はヨーロッパの伝統を下敷きにしている。しかし、全てがヨーロッパと同じというわけでもない。アメリカへの初期の入植者達が、伝統的な身分制度に縛られ、また、宗教的にも制約の多いヨーロッパを離れ、アメリカに理想の新世界を求めた様に、文化の面でもヨーロッパ的な伝統を乗り越え、アメリカ的な新しい価値を打ち出そうという試みが色々と行われてきた。そして、僕の個人的な考えとしては、アメリカ的な価値の中心は、現実世界に対する楽観的な態度と、個人独自の価値観への寛容さだと思う。今回訪れた場所から、そのヒントを見てみたい。

例えばミュージカル。憧れのブロードウェイで、4年前にロンドンでも見た「オペラ座の怪人」を見てみた。ロンドンが生んだミュージカルの天才、アンドリュー・ロイド・ウェバーが製作したこのミュージカルを初めて見た時、僕はいかにもヨーロッパ的な作品だという強い印象を受けたものだった。あくまでヨーロッパの歌劇の伝統に基づいた作曲もそうだが、何より、生まれつきの不幸な境遇によりオペラ座に縛られた怪人、そしてその呪われた存在の寵愛を受け危うい成功を収めていくヒロインという設定だ。そこには、自分のみを頼りに人生を切り開こうという姿勢は弱く、怪人の存在にはヨーロッパの戯曲にしばしば見られる人生の悲劇性が投影されている。

対してブロードウェイでのアメリカ生まれのミュージカルの代表といえばシカゴ。正確にはヒューストンにツアーに来ていたNYの劇団の公演を最近見たのだけど、このミュージカル程アメリカ的価値観を代表しているものもないと思う。主な登場人物たちは愛人や夫を殺害した女性の囚人達。それでも反省の色は全く見えず、金さえもらえばどんな仕事でも悪徳弁護士を利用して、監獄にいながらにして世間の注目を浴びスターになろうとする。全編に流れるジャズのミュージックも背景として、登場人物たちは常に自分の人生を前向きに捉えていて、それぞれの現状に葛藤を抱えながらも自分の努力で成功を勝ち取ろうとしていく。同じブロードウェイのロングラン作品という意味では、コーラスラインやレントからも人生に対する同様の姿勢が見て取れるだろう。

lincoln center

人生に対する楽観的な姿勢は、よりヨーロッパ的なオペラにすら見られる。今回ミーハーぶりを発揮してNYのリンカーンセンターで、シュトラウスの「ぱらの騎士」とヴェルディの「リゴレット」という有名なオペラを二本も見たのだが、後者の「リゴレット」が衝撃的だった。「リゴレット」は元々ヴィクトル・ユーゴーの戯曲を原作にしているだが、オペラとしての製作過程においてヴェルディは、1830年の七月革命後のフランスの政治情勢がヨーロッパ全土の王権に動揺を与える中で政治的圧力を免れるため、原作の持つ人間性に対する深い洞察を損なわない範囲で、度重なる内容の修正に迫られた。しかし、NYのメトロポリタンオペラは、そんなヴェルディの葛藤などどこ吹く風という感じで、そもそもの舞台設定をヨーロッパではなく、1960年代のラスベガスに移し変えてしまう。ラスベガスらしい鮮やかな衣装に身を包んだ役者たちは、この傑作悲劇すらどこか楽しげに見せてしまう。少し余談だが、リゴレットはリンカーンセンター近くのピザ屋でさらに楽観的、個性的なキャラクターにもなっていた。

rigoletto.jpg

古い文明に縛られた暗いヨーロッパを乗り越えようとする動きは絵画の世界も負けていない。例えば、MoMAこと、ニューヨーク近代美術館。ここには、有名なゴッホやピカソ、マティスの傑作もある一方で、テキサスとゆかりが深いという意味でも、このブログで何度か取り上げてきたアメリカのAbstract Expressionism(抽象表現主義)の作品群も多数展示されている。20世紀半ば、ヨーロッパが第二次世界大戦の戦火にまみれ、更にはナチスによるホロコーストなど、未来に向かって進歩していると信じられていたヨーロッパの文明性を根本から否定する様な出来事が起こると、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコといったアーティスト達は、ヨーロッパの絵画的伝統を否定し、ニューヨークで、「アメリカのアート」を創造し始める。どこまでも各個人の自由な作風を追い求めた運動は世界に大きな反響を引き起こし、50年代には美術の中心はパリからニューヨークへと移るのだ。

ジャクソン・ポロック 『One』
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バーネット・ニューマン 『Vir Heroicus Sublimis』
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と、ここまで書いて改めて思う。思えば、大きな公園も、ミュージカルも、オペラも、美術館も、ここヒューストンにもあるのだ。どこへ行くにも車が必要であることを除けば、NYとヒューストンでそれ程違いがあるわけでもない。であるならば、今回感じたアメリカ的であることについての探究は、何もNYでなくても、このテキサスの地でも続けていけるだろう。そしてもちろん、人生に対する楽観的な姿勢や、個人独自の価値観への寛容さは文化の世界の話だけではない。僕としては、ビジネスの場でも、家庭や社交の場でも、程度の差こそあれ一貫していると感じており、NYで改めて感じた「アメリカ的なもの」から僕達日本人が何を学べるか、日々の生活の中で意識していきたいと思っている。
グルメの街ヒューストンと呼ばれて
何ヶ月前にこのブログで、ヒューストンが「文化と食の街」という理由で、ニューヨークタイムズが選ぶ「今年訪れたい観光地ベスト46」の中で第7位に選ばれていたことを紹介した。(http://www.nytimes.com/interactive/2013/01/10/travel/2013-places-to-go.html?_r=1&)その後、「文化都市ヒューストン」としての姿は、このブログでも折に触れて何度も紹介してきたつもりだけれど、そういえば「食」の方にはその後触れていなかったので、今回改めて紹介してみたい。

日本からの訪問者がある度に頭を悩ませるのは滞在中の食事だ。滞在が短期間であれば、日本の皆さんの「カウボーイのテキサス」というイメージに答える形で、ステーキハウスにお連れして、日本では考えられないサイズの特大ステーキを食べて頂くのが定番だ。また、もう何日かあれば、同じくテキサスの定番料理のテキサスバーベキューや、お隣のルイジアナの料理であるケイジャン、メキシコ料理がテキサスで独自のアレンジを加えられたものであるテックスメックスなども楽しんでもえらる。

ただ、こうした料理はどちらかというと豪快で素朴な味付けが魅力で、舌の肥えた日本の皆さんに、「こんな洗練された料理は食べたことがない!」と言ってもらえる様なレストランは余りない。しかし最近では、石油ガス産業の好況もあってか、グルメなヒューストニアン達の需要に応える形で、非常に凝った味付けや盛付のレストランが登場しつつある。ニューヨークタイムズが紹介しているUnderbelly、Uchi、Oxheartの3店はその代表例だ。

まず、Underbelly。ヒューストンの中で最もオシャレなレストランが軒を連ねる、MontroseとWestheimaerが交わるエリアにあるこの店は地元生まれのオーナーシェフ、クリス・シェパード氏が自信の理想を体現したお店だ。メニューは大皿料理が10数品しかないシンプルな構成となっており、しかも素材の供給状況に合わせて、週単位で頻繁に変わる。ヒューストンでここでしか見たことがないのだが、一部のメニューには、使われている肉や野菜がどういった農家や牧場で作られたかが、生産主の写真入りで紹介されていて、シェフの素材への強いこだわりが感じられる。

ジャンルとしては「ニューアメリカン」に分類されていて、南部の伝統的な肉料理をベースとしているものの、味付けは他とは比較にならない程に複雑で繊細な味付けになっており、盛付も鮮やかだ。それでいて、様々な人種、民族を抱える多文化都市、今やアメリカ一の貨物扱い量を誇るヒューストン港を有する国際港湾都市としての立地を活かし、世界の様々な料理からインスパイアされた味付けも見られ、特に日本料理と韓国料理からの影響が強い様に思える。個人的には、この街でで他であまり見ないヤギ肉の各料理がおススメだ。

underbelly.jpg

次にUchi。Underbellyのごく近くに位置するこの店は、名前から想像がつく通り、オーナーシェフであるアメリカ人タイソン・コール氏による日本料理とアメリカ料理のヒュージョンのお店である。日本人にとっては、ヒューストンに数多くある日本人以外のオーナーが経営する日本料理店は「残念」な味なことが多く、色には鮮やかだが何が入っているかわからない巻き物にがっかりさせることもしばしばだ。だが、このUchiは、日本料理のアレンジもここまで本気でやれば、全く異なる別のジャンルとして評価できるという素晴らしい例だ。

味付けは、多くの場合日本料理とは若干異なるものの、様々な素材や調味料からなる重層的な味で、別のジャンルだと思えば非常においしい。シーフードを中心としたメニューは、その素材の多くを日本の築地や福岡から直送で取り寄せており、ここのシェフのこだわりも相当なものだ。そして、どの料理も凝った盛付で、見た目にもすごく美しい。日本料理や日本文化は日本人にしか理解できないと思っている人にこそ、この多文化都市で生まれた「日本文化の一つの進化」をぜひ試してほしいと思う。個人的にはフォアグラのお寿司が絶品でした。

uchi 1

uchi 2

二つのお店に共通するのは、素材に対する徹底したこだわりと、素材をもたらす自然環境への配慮、そして、異なる食文化に対する極めてオープンな姿勢である。思えばこうした料理は、今やアメリカで最も多文化的と言われるヒューストンでこそ生まれるのかもしれない。異なる文化の共存は、少なくとも食文化という形では、こうした洗練された新たな価値を生み出した。それでは、社会としてのヒューストンがどこに向かっていけるのか、それは素材である僕達一人一人が「様々な味が調和したハーモニー」を目指して、日々体現していくことなのだろう。

なお、三店目のOxheartを訪れるのは事情があってしばらく先になりそうです。
大人の社会化見学 in Houston / 石油化学プラントツアー
ここヒューストンは色々な言葉で形容されている。例えば、宇宙産業の街、最先端医療の街、アートとグルメの街、全米でも最も人口流入の激しい街の一つ、などなどだ。それでもやはり、ヒューストンに住む者にとっては、「石油ガス産業の街」という表現が最もしっくりくるだろう。その象徴としてこの街は東の郊外に、全米最大の石油化学プラント群を抱え、しかもシェールガス革命の結果としての空前の石化産業ブームにより、そのプラント群はものすごい勢いで拡大している。今回、関連企業に勤務されている友人の行為で、そうしたプラント群を巡る機会を得たので、感謝の気持ちを込めて、ここでその様子の一部を書いてみたい。

まず最初に訪れたのは、アメリカの石油化学企業であるLyondellBasell社のエチレンとポリエチレンのプラント。複雑に配管が張り巡らされたこのプラントは、戦場での不動の要塞を思わせる存在感を誇っていた。このプラントだけで、年間80万トンのエチレンを生産しているという。下の写真に見えるのは、多くの石化製品の元となるエタンをクラックするエタンクラッカー。ヒューストンの石化産業の象徴とも言える設備だ。

plant 2

また、プラントの血液とも言える冷却水を製造するクーリングタワーも見えた。空の雲と、タワーから湧き上がる水蒸気が渾然一体となっているのがいかにもヒューストンらしい風景だ。

plant 1

次に訪れたのは、ヒューストンの東ベイタウンにある、世界最大の石油会社ExxonMobilのリファイナリー(製油所)と石油化学プラントのコンプレックス。石油化学プラントに近接して製油所を設けることで、プラントの原料となる芳香族炭化水素などを効率的に供給することを狙っているものだ。ベイタウンの広大な敷地に製油所から化学プラントに至る数多くの設備が点在する様は圧巻だった。下の写真の左側に見えるのは、そうした諸々の過程で発生する余剰ガスを焼却して無害化するための設備、フレアスタック。かなり見にくいけれど、プラントの象徴とも言える炎「フレア」が上がっているのが見える。フレアの炎の鮮やかさは、この産業が扱っている石油化学製品が持つ危険なまでのエネルギーを示しているかの様だった。

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ただ、何と言ってもプラントが秘めている膨大な力を目の当たりにさせられるのは夜のプラント群だろう。夜のプラント群は操業上の必要により数多の照明によって照らされていて、一見するとクリスマスのイルミネーションと見まがう程に色とりどりの光を放っていて、ふと「美しい」という感情を抱いてしまう。ただ、驚いてしまうのは、輝くプラント群の上空に目を向けた時だ。プラントから排出され空に広がった煙がプラントの照明に照らされて、空がオレンジ色に輝いているのだ。その様は時に幻想的に、時に不気味にも見える。

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以前このブログで、ヒューストンで見る太陽が大きくて美しいのは、この石油化学プラント群から排出される微粒子が、空気中で太陽の光を屈折させる結果だと書いたことがある。この夜のプラント群もそれと似ていて、関わりのない人が見れば、数年前の日本で流行っていた様に、夜景を前に恋人達が語らうちょっとしたデートスポットに向いていると思うかもしれない。ただ、僕達ヒューストンに住み、何らかの形で石油ガス産業に関わっている者たちは、そうした一見した美しさから、自分達が関わっている産業が、地域の環境に対してどれほど大きなインパクトを持ちうるかを自覚すべきだと思う。そして、それでも石油や天然ガスが、エネルギーや石化製品という形で、全体としては社会に対してプラスの影響をもらたしていることを信じるしかないだろう。


Tさん、本日は素晴らしい企画をありがとうございました!本当に勉強になりました!!

ヒューストン(周辺)観光ガイド⑤フォートワース現代美術館
ヒューストン「周辺」と題した通り、今回紹介するスポットはヒューストンではなく、ヒューストンから車で4時間の都市フォートワースにあります。しかし、個人的にあまりにお勧めなので、ここで紹介してみたいと思います。現代アートを、安藤忠雄氏の建築を、自分の限界に挑戦しようとする全ての人達に自信を持って紹介したいスポットです!

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安藤忠雄という日本人がいる。言わずと知れた世界的に有名な日本人建築家だ。独学で建築を学んだ氏は、20代半ばで4年間にわたる世界放浪の旅に出て、「生きることに意味はあるのか」を問い続けた。帰国後、コンクリートの打ちっ放しと幾何学的なデザインを多用する独自の作風を確立した後は、国内外で数々の作品を発表し、長きに渡り、世界的に非常に高い評価を受け続けている。最近の国内における作品では、東京の表参道ヒルズや、副都心線の渋谷駅、香川県の直島における一連のプロジェクトなどが有名だろう。

そんな安藤忠雄氏が手がけた作品がここテキサスにもある。ヒューストンから北西に4時間のところに位置する都市フォートワースで、2002年に完成したフォートワース現代美術館だ。氏の建築らしく建物本体にはコンクリートが多用され、屋根を支えるY字型の柱が設計全体に力強さを加えている。氏としてはこの美術館において、彼を象徴する素材であるコンクリートにテキサスの過酷な自然から美術作品を守るという意味も込めているという。そして圧巻なのは、建物のほぼ半分を囲む様に設置された大きなプールで、プールに張り出した柱やテラスの効果で、外側から見ると、まるで建物全体がプールの上に浮いている様な錯覚に襲われる。

こうした独自の設計はどんな発想から生まれるのだろう?安藤忠雄氏といえば自らの生き方を「ゲリラ」と表現し、ストイックな生き方を追求してきたことで知られており、自分の生き方についてかつてこう語っている。

「最初は誰も相手にしてくれませんでした。社会が認めてくれない。「今月は生きていけるだろうか?」という常に追い込まれた状態の中で仕事をしてきました。しかし、人間、極限まで追い込まれて初めてたどり着く境地があります。ひとたびその境地を経験した人は、瑣末な事柄にとらわれない、大局的な視野を持つことができ、どんなときでも平常心を保つことができるのです。」

フォートワース美術館の、極限まで迷いなく研ぎ澄まされた設計からは、自らを追い込み続けた結果としてたどり着いた氏の境地がにじみ出ている様に思う。

思えば、現代アートそれ自体も、芸術表現が全て尽くされたとも思える危機的な状況の中で、自分を極限まで追い込み、それでも新しい芸術表現を生み出そうとするアーティスト達の努力の結晶だ。この美術館の魅力はもちろん建築だけではなく、アンゼルム・キーファー、リチャード・セラなど現代アートの求道者たちの大作たちがその内部に展示されている。全体としては、1960年代からアメリカを中心に模索されてきた抽象表現主義(Abstract Expressionism)に関連する作品が多く、その意味では、同じく抽象表現主義の傑作であるヒューストンのロスコ・チャペルとセットで見て、「テキサスにおける現代アート」を体験してほしい美術館でもある。そして、安藤忠雄氏の広々とした空間設計が、個々の作品が持つポテンシャルをより引き出している様に感じられるのも見どころの一つだ。

自分を極限まで追い込んでこそ得られる境地。それが何なのか、少なくともそのヒントがここにはある。現代アートなんて難解すぎて、という人であればこそ、難しいことは考えずに、極限的な生き方のいくつかのあり方、それを垣間見る機会のつもりでぜひ訪れてほしいと思う。

Fort Worth 4

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Fort Worth 2

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フォートワース現代美術館(Modern Art Museum of Fort Worth)
themodern.org/
Address : 3200 Darnell St, Fort Worth, TX 76107 アメリカ合衆国
Tel : +1 817-738-9215



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タツヒコ

Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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