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午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
03 | 2013/04 | 05
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Wet Back / ボストンテロとテキサスの移民
ボストンテロの容疑者ツァルナエフ兄弟の逮捕後、一部でオバマ大統領が進める移民改革に反対する声が上がっている。特に今週はマスコミにより、ロシアのダゲスタン共和国に住む容疑者の両親の映像が連日報道され、彼らが未だ紛争の記憶も新しいチェチェンに近い小国の出身、そして、イスラム教徒であることから、遠い国からやってきた異質な存在が、アメリカ社会の平穏を脅かすといったイメージが広がっている。

しかし、統計上もアメリカにおけるイスラム教徒人口は0.8%に過ぎず、5%を超えるイスラム教徒人口を抱えるドイツやフランス等のヨーロッパ諸国と比べると、社会にとってのインパクトも小さい。それでは、大統領にとっての優先課題になるほどの大量の移民はどこから来ているのだろうか?特に、アメリカ南部にとっての移民はどこから来ているのだろうか?そう、それは遥か彼方、中央アジアのコーカサスからではなく、南であり、「川の向こう」である。今週はそれにまつわる話をしてみたい。

今週、仕事でテキサス南部のコーパス・クリスティーに出張する必要があり、出張の準備を終えてオフィスを出ようとすると、いつもは厳しいアルゼンチン人の上司が神妙な面持ちでこう話しかけてきた。「モリ、南にいくなら、絶対にパスポートを持っていけ。国境に近づけば警戒も厳しい。」まさかテキサス内を出張するのにパスポートが必要だとは思っていなかったのだが、せっかくの忠告なのでありがたく受け取り、翌日僕はパスポートを持って、夜明け前のヒューストンを出発した。

テキサス州にとって、メキシコとの国境は、東西にどこまでも流れて最後はメキシコ湾に流れ込むリオ・グランデ川であり、国境に近いエリアはメキシコからの非合法移民を取り締まるため、多くの国境警備員が巡回している。ヒューストンから南のコーパス・クリスティーに行く場合、州道59号線をひたすら南に走ることになるのだが、この道はそのまま南、正確には南西に行けば、国境の町ラレドに至る。そして、国境を陸路で越えるだけの向こう見ずであるのなら、リオグランデ川を渡り、更にメキシコ領内をも直進すれば、8時間も経たずに、今世界一危険な町の一つと言われるメキシコのモンテレーに到着できる。

僕はと言えば、ヒューストン市内を出て州道59号線に入った途端、カーナビから、「この道を150マイル直進して下さい」という機械的な音声が流れすっかりうんざりしてしまったのだが、同時に、「この道をまっすぐ行けばいつかはリオグランデ川に出るのだろうか」との思いも抱いていた。そして、150マイル直進の退屈なドライブの最中、路肩には何台ものパトカーが待機していて、ついついスピードを出しそうになるのを思いとどまらされる。(後で聞いた話では、この道はより大きなInterstate Highwayと比べて、メキシコからの不法移民や密輸貨物の輸送に使用される頻度が多いそうだ。)それでも3時間程でテキサス州有数の港湾工業都市、コーパスクリスティーに着く。面談の相手から、「一人でコーパスクリスティーまでやってくるなんていい度胸だな!」と言われ、自分が随分南に来ていることを改めて実感したのだった。

テキサスと言っても、メキシコに近づくと主な町の名前は「コーパス・クリスティー(スペイン語でキリストの身体」という意味」と言うようにスペイン語の名前が多くなり、この土地が元から他者を内に含んでいる土地であることを実感させられる。そして、最近はあまり使われなくなったが、アメリカで非合法移民はしばしば「ウェットバック(背中を濡らした者)」と呼ばれ、その由来はといえば、メキシコからの非合法移民がリオグランデ川を徒歩で渡り、背中を水で濡らしてアメリカ領内に入ってくることから来ているのだ。

その意味ではテキサスは常に、望まれない移民に対するフロンティアであった。広大なアメリカにおいて、はるか東海岸のボストンで起きた望まれない移民による事件を契機に、移民に対する新たな主張がなされると言うのなら、テキサスを含めたアメリカ南部の経験が十分に考慮されることを望みたい。

写真は朝日に映えるコーパス・クリスティーのシンポル、空母レキシントン。第二次大戦自体から活躍し、ゼロ戦の特攻にもびくともしなかったというこの船は、今でもテキサスを外部から守っているかのようだ。
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テキサス肥料工場爆発事故
今週はボストンでの爆弾テロに並行する形で、アメリカで起きたもう一つの爆発、テキサスでの肥料工場爆発事故で、テキサスが全世界で報道された週だった。いつものことながら、テキサスが世界的なニュースになる時は良くないニュースであることが多いのが残念だが、今回のニュースが他と違うのは、その悲惨さに加えて、舞台がテキサス州のほぼど真ん中、同じテキサスでもヒューストンとは別世界であった点であろう。

爆発事故の概要はこちら↓
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130418/k10014010781000.html

実は今回の事件が起きた町ウエストから程近いところに、弊社の関連会社の工場があり、僕もあの辺りは何度か車で訪れたところがある。また、ウエストの近辺には、その工場の関係者の住宅が集まっている。それもあって事故の一報を聞いた時、僕はともかくもその工場の関係者に被害者がいないか心配になり、仲のいい社員を入れた。程なくして、工場関係者やその家族には被害がないことを知り、ほっと胸をなでおろす。そしえt次に思ったのは、「まさかあんな静かな地域でこんな大きなニュースが起きるなんて」ということだ。

テキサス州の三大都市といえば、ヒューストン、ダラス、サンアントニオだ。そしてその地域は、その三つの都市を結んだ三角形の重心あたりに位置する。ヒューストンから訪れる場合は、Highway 6をひたすらまっすぐ北西に3時間程車を走らせることになる。ヒューストンから30分程度走り終えた頃には、道の両側にはほとんど建物はなくなり、どこまでも農地と牧草地が広がるため、運転に疲れた時には単調すぎて居眠り運転にならない様、注意しなくてはならない。

そして、Highway 6はその辺りで随一の大きな町ウェイコーにぶつかるが、そこを過ぎれば、北に行っても、東に行っても、西に行っても、今度こそのどかな農地と牧草地、もしくは荒野が広がっている。こう書くとかなりの田舎の様だが、(実際に田舎には違いないのだが)、そこは田舎だとしても伝統ある格式高い田舎なのである。何かといえば、近くにはジョージ・ブッシュ元大統領の農場があり、周辺のレストランにはしばしばブッシュ元大統領が訪れた写真が飾られ、ブッシュ氏の関連グッズが販売されている。まさに、典型的なテキサス、典型的なアメリカ南部なのだ。広大な土地を抱え、大規模な農業や牧畜に従事する大家族が暮らす地域、そこはヒューストンとは違う、別の、そしておそらく本来的なテキサスであり、ニュースになる様な事件とは無縁なはずだった。

だが、今回の爆発事故は、そうした牧歌的な生活にとっては生命線である穀物肥料を提供していた肥料工場で起きた。さらに、工場の位置するウエスト自体は、19世紀半ばにチェコ系移民によって開拓された小さな町で、肥料工場は住民の最大の雇用主であり、アンモニアの異臭に対する住民の再三の抗議にも関わらず、強気な肥料メーカーは安全基準を改善しようとしなかったそうだ。さらに、テキサスの他の多くの田舎町と同じ様に、街の消防機能は、ボランティアの消防隊員によって維持されている。彼らは都市部の消防署員がこの規模の火災に持つべき装備をほとんど持たずに、炎に向かっていたという。農業や牧畜を中心とした暮らしは、潜在的な危険と隣り合わせだったというわけだ。

都市化を深めるヒューストンがある一方で、テキサスの伝統的な暮らしを続ける地域もある。今回の一件で改めて実感させられたテキサスという土地の多様性。今後もそうした多様性を十分に認識して、この土地のことをより深く知っていきたいと思う。

今回の事故の犠牲者の方のご冥福を心よりお祈りするとともに、未だ行方不明な方々の一刻も早い発見を願っています。

写真はその地域の風景。空がどこまでも高い。
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ジャパン・フェスティバル
東京に住んでいた頃、代々木公園でよく行われていたタイフェスティバルやベトナムフェスティバルといった様な、日本に住む各国の外国人の人達が開いたイベントが好きで、よく足を運んでいた。中でもラオスフェスティバルは、会社の元同期も含めて知人が何人か主催者側にいたこともあり、特に楽しみにしていた。そして、会場では、手作り感あふれるステージやお店を好ましく思うとともに、故郷の料理を誇らしげに説明する友人の真摯な姿勢に、ある種の尊敬の念を感じていたものだった。

その時は何年かして自分が逆の立場になるとは思っていなかったが、いざ自分がその立場になってみると、まるで自分が日本代表ででもあるかの様に、目の前にいるホスト国の人達に少しでも自分の国のことをわかってもらおうと必死にならずにはいられなかった。そのことに気づかされたのは、この週末にヒューストンで開催されたジャパンフェスティバルにボランティアスタッフとして参加した時のことである。

ジャパンフェスティバルはヒューストン日米協会が主催し、ハーマンパークという大きな公園の一角を貸しきって行われるイベントで、ヒューストンにおける日本に関するイベントとしては最大のものであると思う。在ヒューストンの各日本料理店や、日系小売店、商工会などが店を連ね、いつもは感じられない「ジャパンタウン」とでも言うべき空間が立ち現れたかの様な雰囲気だった。そんな中、商工会ではボランティアスタッフを活用して、例年同様、金魚すくいやヨーヨーつり、輪投げなどの日本のお祭りでお馴染みの出し物を用意していた。

僕は一日目の午後、輪投げのブースで子供たちの対応を担当した。好奇心の塊の様な子供たちが、白人、黒人、アジア人の別なく、ほぼひっきりなしにやってくる。そして彼らが、たどたどしい手つきでわっかを投げ、それが見事それぞれ点数が書かれた棒に収まると、目をキラキラ輝かせながらこちらを見つめてくるのに接して、僕はすっかり嬉しくなり、同時に、子供の頃の思い出に引き戻されてしまった。

思えば、輪投げや金魚すくいといえば、故郷である静岡県静岡市瀬名でのお祭りでは欠かせない出し物だった。JRの駅から遠く離れた瀬名で、自転車で移動できる範囲が世界の範囲とほぼ等しかった少年時代の僕にとって、町内のお祭りは大きなイベントで、それぞれの出店に大いに興奮したものだった。言うなればお祭りの風景は、僕にとって日本らしさの原風景の一つであった様に思う。

今日ここに来てくれた子供たちにそれに近い体験をしてほしい、そして、少しでも日本を身近に感じてほしい、そういった一心だった僕は、必死になって子供たちに接し、とある男の子が最高得点であり、おもちゃが4つもらえる6点をたたき出した時には、町内のお祭りの時の近所のおじさんさながらに、祝福の意味で鐘を鳴らし、歓声を上げていた。

その日の営業を終了し、それでも会場に溢れるアメリカ人の多さにまるで自分がほめられているいるかの様な喜びを感じていると、その場に、力強い太鼓の音が響く。一日目のクライマックスとしての琉球国祭り太鼓の演奏である。鮮やかな衣装に身を包んだ踊り手も含めて、日本人はいないようだ。

3年前、沖縄での同期の結婚式で初めて琉球太鼓を聴いた時には、むしろその異国風味が印象に残ったものだったが、今ここヒューストンにいて改めて聴いてみると、「琉球国」という呼称にも関わらず、それがまさに日本らしく感じられ、たくさんのアメリカ人がこの演奏と踊りに参加してくれているのに感謝の念を抱かずにはいられなかった。

最後に、ジャパンフェスティバルの主催者の皆様、本当にお疲れ様でした。皆様のご尽力のおかげで、この週末はヒューストンに住む日本人、日本に興味があるアメリカ人にとって忘れられない日になった様に思います。

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Take Me Out To The Ballgame / スポーツと公共性

「ハーバード白熱教室」という番組や「これからの正義の話をしよう」という著作で、一躍日本でも人気となったアメリカの政治哲学者、マイケル・サンデル教授が、市場の道徳的限界について論じた最新の著書「それをお金で買いますか 市場主義の限界(原題 What Money Can't Buy)」の中で、教授が、大衆スポーツが持つ重要な公共性について論じている箇所がある。少し引用すると、

「もちろん、スタジアムは主として、さまざまなスポーツ協議を見るために人々が集う場所だ。…(中略)…だが、その場の公共性-みなが一緒に同じ体験をし、少なくとも数時間は、地元への愛着と市民の誇りを共有する-のおかけで、市民としてのあり方を学べる。スタジアムが象徴的施設というより広告掲示板に近くなるにつれて、その公共性は失われていく。だとすれば、おそらく、そこで育まれる社会の絆と市民感情も失われていくだろう。」

ヒューストンに来てから、僕はこのスタジアムの公共性という側面を肌で実感している。ヒューストンはアメリカの4大大衆スポーツ(野球、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー)のうち、アイスホッケーの除く3つのスポーツについて、一部リーグで戦うプロチームを抱える都市だ。10月から1月にかけては、アメフトチーム、ヒューストンテキサンズの期待以上の活躍に一緒になって盛り上がったが、今度は球春の到来ということで、先週日曜日メジャーリーグのヒューストンアストロズの開幕戦に向かった。

ダウンタウンにどっしりと立つ本拠地、ミニッツメイドパークに、試合開始より少し前に着くと、スタジアムの周りの駐車場はどこも一杯であり、僕はスタジアムからかなり離れた駐車場、というか、メキシコ人が本当に許可を取って管理しているのか疑わしい川原沿いのスペースに、車を止めなければならなかった。街の中心に車で行くのが基本のスタジアムがあるなんて、日本では考えられないことだなどと考えながらスタジアムに急ぐ。

スタジアムの中に入ると、既に試合が始まった球場では割れんばかりの大歓声が沸き起こっている。ホットドッグやメキシコのファストフードのスタンドが立ち並ぶ通路を抜けて観客席に出ると、そこにはほぼ満員の何万という観客で溢れており、相手が同じテキサス州のダラスが本拠地のテキサスレンジャーズということもあってか、相手チームのユニフォームを来た人々も少なくないものの、大多数が地元アストロズのファンたちだ。

日頃、事あるごとに社会格差の大きさを感じさせられるテキサス社会ではあるが、ここでは、白人も、黒人も、ラティーノも、アジア人も一緒の席に隣り合って座って、地元チームの応援をしている。そして、前後や左右の初対面と思われる相手に気さくに話しかけ、アストロズが珍しく開幕戦でのホームランを打てば、誰彼かまわずハイタッチをする。球場の外での職業や所得の違いはそこではほとんど考慮されず、サンデル教授が評価する公共性が確かに存在していた。

一方で、教授が公共性が失われる兆候だと嘆いているスカイボックス席もそこにはあった。かつては金持ちも貧しい者も一緒に並んで応援していたのに、今では高所得者はより多額の料金を払うことで空調完備の特別席に隔離され、外部の社会での格差を再現しているというのだ。但し、スカイボックス席でお高く止まった金持ちはあくまでもごく一部であり、僕の実感では、その席に入れるだけの所得を有する人でも、敢えて屋外のスタンド席を選んでいる様に感じられた。それに、いかにお金を持っていたとしても、クーラーの利いた部屋でワインを飲むよりは、ホットドッグ片手に冷たいビールで熱狂を覚ます方が、野球を楽しめるものと信じたい。

面白いのは、観客それぞれが思い思いのやり方でスタジアムにいる時間を楽しみ、思い思いのタイミングでそこを後にしていることだ。僕の前の席に座っていた何組かの親子連れのグループは、子供が飽きてしまったのを感じ取ったのか、5回途中で早々と帰っていってしまった。もっとも、僕らにしても、試合終了時の駐車場周辺の混雑を恐れて、「Take Me Out To The Ballgame(私を野球に連れてって)」が流れる7回終了時には、球場を後にしたのだが。

僕は、今回のアストロズの試合で、アストロズがアメリカンリーグに参加しての初の開幕戦として、万年最下位をうろつくチームとしては珍しく大勝利を遂げた試合自体も、スタジアム全体に未だ健在の、アメリカのベースボールが持つ市民的公共性も大いに楽しんだ。ただ一つ心残りなのは、開幕戦に相手チームのレンジャースは日本人投手ダルビッシュを登板させると思っていたにも関わらず、彼の実際の登板は2試合目であり、僕が行かなかったその試合で、彼は9回2アウトまで完全試合という偉業を成し遂げたことなのだけど…

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Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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