午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
04 | 2013/05 | 06
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

LAの中の日本、そしてその多様性
今回は番外編的に、週末に旅行で訪れたロサンゼルスについて書いてみたい。

以前、ある国や都市での韓国系人口の数は日本人の10倍であり、中国系人口の数はその更に10倍となるという法則を紹介したが、面白いのは今回の旅行に参加していたメンバーの中でも、それに似た法則が作用していたことだ。今回の旅行には、シカゴ在住の友人と、ロサンゼルス在住の友人が参加していたのだけど、彼らに聞いた話では、ヒューストンの日本人人口がおよそ二千人に対し、シカゴの日本人人口は2万人、ロサンゼルスの日本人人口は20万人らしい。そして、ロサンゼルスの場合、既にアメリカ国籍を持っている日系人は含めずにその数なのだ。(2000年の統計では、約80万人の日系アメリカ人のうち、三分の一強がカリフォルニア州に住んでいるという。)

そう、ヒューストンに住んでいると、アジア系の人々の中での、日本人人口に対する中国系人口の多さに圧倒されてしまうのだが、ロサンゼルスにはそのヒューストンの中国系人口と同じくらいの日本人が住んでいるのだ。そして、ヒューストンで中国系の人々がチャイナタウンを形成している様に、ロサンゼルスでは日本人及び日系人がリトルトーキョーと言われる日本人街を形成している。もちろんそれは、ロサンゼルスに住んだことのある人であれば、当たり前の事実ではあろうのだろうけれど、ヒューストンでの生活の中で、ある民族集団がその人口の大きさに比例して、規模の大きなコミュニティーを形成しているのを感じている身としては、日本人街を形成するだけの規模の日本人がいるという事実だけでも胸が熱くなる思いがするのである。

リトルトーキョーには、日本語の看板が掲げられた小売店やレストランが並び、「小東京交番」と書かれた交番まである。僕としては、アメリカでの生活に多少は慣れてきている実感があったのだが、日本風の建築や日本語に囲まれて何となく安心感を感じている自分に気づき、やっぱり自分は日本人だなあと改めて痛感する。そして、ロサンゼルスで、戦時中の強制移住等の困難等を乗り越えて、今日に至るまでそうしたコミュニティーを築いてきた日系人の人達の努力に、深い尊敬の念を覚えるのだ。
litttok.jpg



しかし、更に僕が感銘を受けたのは、そうした日系人を含め、移民に対して向けられているロサンゼルスという都市の懐の広い感受性である。あくまで偶然ではあるのだが、今回の訪問時、ロサンゼルス郊外にあるゲティ美術館を訪れた際、"Japan Modern Divide"と題して、日本の写真家、濱谷浩の写真が展示されていた。濱谷浩は戦前から戦後にかけての昭和期の日本で活躍した写真家であるが、深いリアリズムに基づき、地方に生きる日本人の風土を撮影し続けた人物だ。今回の展示では彼のライフワークである「裏日本」というテーマを前面に出して、新潟や青森など日本海側の日本における田植えや銭湯の風景など、海外になかなか発信されることのない、地方の日本のありのままの姿が描き出されていた。そして、そうした写真の一枚一枚を、日本という国の多様性を理解しようとするかの様に、食い入る様に見つめているアメリカ人の訪問客が多数いたのである。

もっとも、よりロサンゼルスの柔軟性を示すのは食文化かもしれない。ヒューストンには一軒もなく、僕の魂の栄養不足を招いているラーメン屋が、ロサンゼルスには至るところにあるのである。しかも、現地の人達にも人気の様で、アジア系に限らず、多くの白人もラーメンを楽しんでいた。そしてうれしいことに、その味は日本にも負けないくらい洗練されており、日本を出発した日以来7ヶ月ぶりに「つけ麺」を食べた時には、余りの美味しさに、思わず涙が出そうになってしまったのである。

アメリカに100年以上も前から移住し、アメリカ社会の中で活躍している日系人移民の方々への尊敬と感謝の気持ちを忘れずに、アメリカの中の日本人として頑張っていきたい。

tsukemen.jpg

スポンサーサイト
ザリガニシーズンの終わりに
しばしば指摘されることとして、アメリカには名物がないとよく言われる。テキサスへの訪問者から当地の名物が食べたいと問われれば、僕は基本的にステーキを薦めるのだけど、実際のところ、ステーキが名物というのは、テキサスに限らず、農業や畜産が盛んなアメリカの州で広く見られる現象である。それではもっとテキサスならでは、もしくは南部ならではのものがないかと言えば、答えはCrawfish(ザリガニ)である。

ザリガニというと、日本人には食べ物としてのイメージが薄く、むしろ田舎の生まれであれば、子供の頃に近所の田んぼや池で、パンの切れ端等をえさに釣り上げて遊んだものという印象が強いだろう。しかし、テキサスの人々はシーズンになると、食べ物として、本当にザリガニを良く食べる。ザリガニのシーズンは2月下旬から5月初めくらいで、僕も何だかんだでシーズン中に10回以上は食べていると思う。ザリガニを大量にゆでたものがテーブル一杯に運ばれ、各自で一つ一つ殻を割って、中の身をスパイシーなソースにつけて食べるシンプルな料理だ。

元々ザリガニは、お隣のルイジアナ州の郷土料理であるケイジャン料理の一部だ。ケイジャンとは、18世紀半ばの時点で、フランスのアカディア植民地(現在のアメリカ北東部とカナダの南東部の一部)に住んでいたフランス系の人達の呼称で、ヨーロッパの七年戦争がアメリカに飛び火したフレンチ・インディアン戦争の結果として、ルイジアナ州に強制追放された人達の子孫だ。料理にフランス料理の影響が残っている一方で、ルイジアナの自然の中での自給自足を長く強いられたため、ザリガニやワニ、カエルなどの土着の生き物を料理することもその特徴である。

そうしたケイジャン料理の中でも、ザリガニについてはテキサスの料理になっている感がある。シーズンになると、ケイジャン料理のレストランだけではなく、タイ料理や中華料理などそれ以外のレストランでもザリガニがメニューに並ぶし、4月下旬には、ザリガニ料理の屋台がひたすら並ぶ、Crawfish Festivalなるものもヒューストンの郊外で開かれている。そして、更に興味深いのは、テキサスの一部の企業は、この時期になると、自社でもCrawfish Partyを開いて、取引先の関係者を招待し、ただひたすらザリガニを食べさせるのだ。僕も一度そうしたPartyにお邪魔したけれど、ごっついアメリカ人の男たちがテーブルに並んで、ザリガニの小さな身をちまちま食べているのは、若干ほほえましくなる光景でもあった。

ザリガニの食べ方にも、テキサスの人々はそれぞれ独自の意見を持っていることが多く、この位置から殻を割ると身の全体が確実に取れるとか、殻の内側に残った肝の部分が本当は最もおいしいだとか、色々な持論を展開してくれる。その意味では、食べる時に黙々と食べるために無言になりやすいことも含めて、日本人にとってのカニに近いかもしれない。(カニの様に高級な食品というイメージはないが。)シーズンの始まりである2月は未だザリガニのサイズが小ぶりであり、3月下旬から4月初めにベストシーズンを迎え、5月になるとザリガニのサイズは最大になるものの、この時期まで来ると余りに成長しすぎて身が固くなってしまう。

そういうわけで僕もザリガニのシーズンはそろそろ終わりだろうかと思っていたのだけど、今週末うれしい誤算があった。というのは、友人が自宅で主催するザリガニパーティーに招かれ、半分以上は初対面の人だったので、到着する前は若干緊張していたのだけど、いざ一緒にテーブルに座って、ザリガニの殻をむき、小さな中身を食べ続けるという共通の作業を続けると、すぐに仲良くなれたのだ。パーティーの後半になって、ザリガニのカクテルを作るため、食べるのは一旦お休みして、ただ殻だけをむき続けるという時間になると、より結束が高まった気がする。今回の参加者には、白人も、黒人も、ラティーノも、インド人もいたが、誰もがザリガニが大好きで、人種に関係なく人々をひきつけるザリガニの魅力を改めて見直してしまった。

今シーズン、何百、下手したら何千というザリガニを食べたか定かではないけれど、色々な人達との距離を縮めてくれたザリガニにここで感謝の気持ちを伝えたい。

「今までありがとう、ザリガニ、来年会えるのを楽しみにしているよ!」

crawfish.jpg





富士山の世界遺産化とテキサスの山々
今週、富士山がユネスコの世界遺産に認定されたニュースを見た時は、PCのスクリーンの前で文字通り手を叩いて喜んだ。地元静岡県そして山梨県の山として、小学校6年生の時に初めて父と登って以来、過去18年間ほぼ毎年一度は登り続け、大学生の時には短期間とはいえ、登山ガイドとしてより深く富士山に関わった人間としては、このニュースはまるで自分のことの様にうれしい。純粋に山として見れば、単調な岩山である富士山は面白みに欠けるかもしれない。ただ、神話の時代から続く宗教的重要性、古今東西のアーティストが、和歌に、俳句に、浮世絵に描いてきた文化的なシンボル性、その他諸々を考え合わせても、富士山は、僕にとって、そして日本人にとって、唯一無二の特別な存在だと思う。

そんな僕にとって、テキサスは少し辛い場所だ。テキサスのほとんどの要素には満足しているけれど、あえて物足りないことを挙げるとすれば、どこを見渡しても、富士山や地元瀬名の竜爪山の様な山並みが見つからないことである。何しろ、ヒューストンで一番標高の高い場所は、二つの高速道路であるI-10とBelt-8が交差する高架の上だっていうジョークもあるくらいだ。

それでも、州として見れば、テキサスに全く山がないわけではない。郊外まで出るとある程度起伏に飛んだエリアに行き着くし、オースティンから西にはより山らしい地形もある。僕はこれまでアメリカ人の友人に恵まれ、そんな山々を巡ってきた。

一つ目はオースティンから更に北西に2時間程度進んだところにある、Enchanted Rock。昼と夜の大きな寒暖の差により、夜になると岩から泣き声の様な音が聞こえるのが、まるで魔法使いの魔法により生命を吹き込まれた様であるというのがその名の由来である。

enchanted.jpg

山と言うには多少スケールに欠けるものの、一枚岩としてはかなり立派なもので、いつでも傾斜の緩い斜面からハイキングをする家族連れや、切り立った斜面でロッククライミングをする冒険好きで溢れている。ヘタレクライマーである僕としては、どのルートも完全な安全確保が取りにくいのに冷や汗をかいている。

そして、もう一つがReimers Ranch。オースティンから少し西に行ったところにあるランチ(アメリカ南部や西部の言葉で大農場の意味)で、そのただ中を大きな川が流れていることもあってか、およそテキサスとは思えない程緑に溢れた場所だ。

reimers.jpg

今度こそ山というにはかなり無理がある場所だが、アメリカ人の場合、公園を散歩することをハイキングと呼んだり、農場で食事やスポーツをして過ごすことをピクニックと言ったりするので、その文脈でいえば、テキサスの山々に加えても差し支えないだろう。そして何より、発達した石灰岩により、立体的な構造が形作られ、ロッククライミングにはもってこいの場所である。同じく、ヘタレクライマーである僕にとっては、ほぼ水平にハングしたルートを登れるのはいつの日かわからないのだが…

reimers2.jpg

そして、今僕たちが狙っている場所がある。テキサス州の西の端、メキシコ国境の町エルパソの郊外にあるFranklin Mountainだ。名前に「マウンテン」が着いている通り、今度こそ本当の山であり、僕の山恋しさを十二分に癒してくれるだろうと思っている。

ただ、テキサスの山々がその標高やスケールに関わらず、僕にとって思い出深い場所となっているのは、何よりも一緒に登っている気のおけない仲間に恵まれているからである。それは日本の山々を登っている時も同じだったのではあるが、テキサスに来たからにはしばらく山はおあずけかと思っていた僕の期待をいい意味で裏切ってくれ、もしかしたらこのブログをGoogle翻訳しているかもしれないそのアメリカの友人たちに、改めて心よりの感謝を伝えたい。

Thank you very much! It's awesome!!


プロフィール

タツヒコ

Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。