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午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
05 | 2013/06 | 07
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スーパームーンとNASAの向かう先
今夜は、全米でスーパームーンと呼ばれる満月が通常より大きく、明るく見える姿が観察できるようだ。スーパームーンは地球の周りを楕円軌道で回る月が、地球に最も接近するために起きる現象だという。ただ、最も接近するといっても、地球と月の距離は約35万7千キロはある。しかし、今から44年前の1969年の時点で、約35万7千キロどころか、実際に月の大地に降り立った男がいる。「That's one small step for a man, one giant leap for mankind(これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類全体にとっては大きな飛躍である)」という名言を残した、アポロ11号の船長、ニール・アームストロング氏である。

目立った観光スポットに欠けるヒューストンの中で、観光という意味では個人的な一押しがNASAだ。ヒューストン市街から南東に30分ほど行ったところにNASAの施設の中でも最大の面積を誇るジョンソン宇宙センターがあり、スペースシャトルや国際宇宙ステーションの運用・管制や宇宙に関する研究開発、宇宙飛行士の訓練等を行っている。最近では、ヒューストンのNASAを主な舞台にした漫画『宇宙兄弟』が、ヒューストンの名前を日本でも多少は浸透させたことと思う。

Johnson Space Center
http://www.nasa.gov/centers/johnson/home/index.html

公式なNASAの施設の横には、ディズニーが運営するスペースセンターヒューストンがあり、アポロ時代の管制室や宇宙飛行士の訓練センターを見学できる目玉のトラムツアーに加え、スペースシャトルの打ち上げを疑似体験できるアトラクションなど、大小の宇宙に関するアトラクションが設けられている。また、トラムツアーの終点では、アポロ時代のものとはいえ、サターンVなど実際のロケットに触れることもできるのも魅力的だ。そして、ここの特徴は、観光客を飽きさせない様に配慮してか、非営利の施設の割にはかなり頻繁にアトラクションの内容が変わることだ。

nasa1.jpg

土曜日、海外からのお客様のアテンドで久しぶりにNASAに向かうと、相変わらず子供たちを中心としてヒューストンの中でも最大級の賑わいを見せる様子はそのままだが、施設内で最大のIMAXシアターでの上映作品の中で、前回僕がかなり感動して目頭が熱くなった「スペースシャトルの歴史」という数十分の映画がなくなっていて、その日の日中、お客様にその映画がいかにいいかを力説していた僕は戸惑ってしまった。ただ、それは基本的にうれしい戸惑いであり、その代わりに上映されていた「国際宇宙ステーション」という映画は、改めて宇宙開発のロマンの中に僕の心を引き戻す。

国際宇宙ステーション(ISS)は、その名の通り、アメリカ、ロシア、日本、カナダ、ヨーロッパの各国の宇宙開発機関によって、国際的に建設が進められる宇宙ステーションである。既にアメリカとしてのスペースシャトルの発射を終了させ、ISSへの宇宙飛行士の輸送にしてもロシア等に頼るなど、海外の機関との相互依存を深めるNASAにとっては、名実ともに目玉プロジェクトだろう。映画の中では、青く輝く地球をバックにしてISSの姿がある種の美しさを伴って映し出されるとともに、ISSに関わる宇宙飛行士たちが、最近の、そしてこれからのISSにとって、いかに異文化間の相互理解が重要かを力説していた。とある宇宙飛行士は言う、ISSで作られようとしているのは、どこの国の文化でもない、「スペース・カルチャー」であると。

思えば、宇宙開発というのは、国家や民族を問わず、世界中の人々が共通の夢や目標に向かって協力できる貴重な存在だと思う。テキサスの北部、ダラスに程近い荒野でロケットの試験発射等を行い、ISSのプロジェクトにとっても欠かせない存在となりつつある宇宙ベンチャー企業、スペースXのニュースにも、人種を問わず多くのアメリカ人がアツくなっている。

「人類全体にとって大きな一歩」と言ったアームストロング船長だったが、当時彼が月の大地に突き刺したのは、一つの国家の象徴である星条旗であった。これからの多文化が共存する宇宙開発でこそ、彼の一歩が本当に人類全体にとって大きな一歩だったかが問われることになるのだろう。

写真は、かなり見にくいけれど、まるでF1カーかと思うばかりに、スポンサーであるRed Bullのロゴを全身にあしらった宇宙服。宇宙まで届く翼を授けてほしい!

nasa3.jpg



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そこがルイジアナである証拠に
大学一年生の冬、初めて海外に出かけ、陸路でタイとカンボジアの国境を越えた時のことを今でも僕は忘れられない。タイの首都バンコクを出た長距離バスは、ガンガンにクーラーを効かせながら、奇麗に整備された片側三車線の道路の上を、カンボジアとの東の国境におけるタイ側の街、アランヤプラテートに向かって、グングンと走っていく。車内には、裕福そうなタイ人たちとうつろな目をしたカンボジア人が半々くらい。僕はこのタイ人たちも国境を越えて更に進み、僕の目的地である遺跡、アンコールワットがあるシェムリアップに行くのだろうかといぶかしんでいた。その内にアランヤプラテートに着いたバスは、カンボジアとの交易で栄える市街を抜け、国境ゲートに到着する。

バスを降りて国境通過の手続きをし、カンボジア側の街ポイペトに足を踏み入れた僕は目の前の光景に我が目を疑った。さっきまで日本とほとんど変わらない程だった立派だったタイ側と比べて、カンボジア側の道路は、まるでニュースで見ていた中東の紛争地の様に、そこらじゅう穴が空いていて、左右の建物がどれも朽ちかけている。そしてすぐに僕の周りには、汚れた服を着た子供たちがお金をせびりに群がってくる。初めて陸路で国境を越えた僕は、国境という人間が決めた境界を境として、余りに世界が異なることに愕然としたのだった。

そして、タイ側と違って、まともな商業活動が行われているとは思えない通りを抜け、シェムリアップ行きの乗り合いタクシーの乗り場に向かう手前にそれはあった。周囲の光景とは似ても似つかないくらい豪華で、周りを威圧するように立つ巨大な建物。カジノだ。後で聞いた話では、当時、タイ人にとって国境のカンボジアの街といえば、タイではできないカジノで豪遊をする場所であり、週末ともなると、急成長を遂げる経済の中で集めた大金を持ったタイ人の金持ちたちが、大型バスに乗って集団でやってきていたという。

国境を抜ければそこはカジノ、そのイメージは、新たな時代を作っていこうとする活気と、その時代に取り残されてしまった絶望とのギャップの大きさと一緒に、僕の中に、深く刻まれたのだった。それから11年、まさかそのイメージがこのアメリカ南部で呼び起こされることになろうとは、僕は全く予期していなかった。

この週末、僕はテキサスの東の隣の州、ルイジアナに向かった。たまには運試しもいいだろうとテキサスとの州境に程近いリゾート地レイク・チャールズにあるカジノを訪れようというのだ。テキサスは、全米の中でもアラスカに次いで第二位の面積を誇る巨大な州であり、同じ州の中でも、例えば、西側のニューメキシコとの州境に近いエルパソまでは、Interstate Highway 10をひたすら西に10時間はかかる。他の主要都市であるダラスにしても、北に4時間程運転しないとたどり着けない。

その点、レイクチャールズはヒューストンから同じInterstate Highway 10を東に2時間30分であり、州都オースティンまで行くのとほとんど変わらない距離にある。ヒューストンがテキサスのかなり東側にあることを再認識させられた瞬間だ。これまで飛行機では他の州に行ったことは何度もあっても、陸路で州境を超えたことのなかった僕は、アメリカの州境とはどうなっているのだろうと少し期待していた。それでなくても退屈な百数十マイル一直線の運転には、多少の楽しみは必要というのものだ。

しかし、テキサスの東側で最後の大きな町バーモントを越えてしばらく進んでも、道沿いの植物の背が少し高くなったと感じる以外は州境を示す標識らしきものは見当たらない。何の感慨もなくルイジアナに入ってしまったことに少々がっかりした僕は、すぐにその認識を改めさせられることになる。道の左右にある大きな建物の屋根に、大きな字で「CASINO」と書かれていたのだ。そう、テキサスでは非合法であるカジノがある以上、ここはもうルイジアナなのである。目的としていたレイクチャールズはもう少し先なのだが、そこまで待ちきれないせっかちなテキサス人たちの所持金を少しでも飲み込もうと、巣で獲物を待つ蜘蛛の様に待ち構えているのである。ここでも、2つの世界の境界はカジノだったのだ。

そして、目的のレイクチャールズのカジノ。チャールズ湖の水面にかなり高くかかった橋から見えるその建物は、内部にひしめく人々の一攫千金を狙う欲望を反映しているかの様に外からでも怪しく光っていた。内部に入ると、ほとんどの機械やテーブルが埋まっていて、深夜とは思えないもの凄い熱気だった。ジャックポットの大当たりに歓声を上げる女性、これまでの負けを取り戻そうとルーレットで一点に大きく賭けて更に泥沼にはまる男性、様々な人の姿が入り乱れている。カジノの看板であるポーカーのテーブルには、アジア系の大家族の姿が目立つ。まるで、ここが香港かマカオでもあるかの様に、老若男女が混じった一団がディーラーの手さばきに目を光らせていた。

豊かさや法律の異なる二つの世界の境界。恐らくカジノはその象徴としての一つの例に過ぎないのだろう。もっとアメリカの多様性が形作る陸の境界を見てみたい、そう思った瞬間だった。

lake charles b

コロラドの熊と熊の様な日本人
2回続けて南部以外の記事を書くと、もはやアメリカ南部のブログではない気もするけれど、今週も番外編的に、旅行で訪れたコロラド州について書いてみたい。

コロラドに向かう飛行機の中、僕はとある取引先の方から頂いたロッキー山脈の近郊で大成功した方の伝記を読んでいた。その伝記の主人公は、少年時代の1920年代、大恐慌のあおりを食って職を転々とせざるを得なかった父親の都合で、ワイオミングやモンタナ、ユタ、コロラドとロッキー山脈周辺の州を転々とするのだけど、その中で最も印象深かったのがコロラド時代の思い出だ。

コロラドで、彼は初めての労働の体験として、家畜の管理のアルバイトを始める。すると、ある日彼が働く農場にグリスリーベアがやってくる。恐怖におびえた彼は近くにあった猟銃を熊の頭部めがけて撃ちまくるのだけど、熊は一向に勢いを弱める気配はない。そこで、もはや死に物狂いでめちゃくちゃな方向に撃ち続けると、たまたまその一発が心臓に当たったらしく熊は絶命する。その後、熊の近くに寄って見てみてると、頭部に命中した銃弾は全て分厚い頭蓋骨に阻まれて貫通しておらず、その時初めて彼は、もともと頭部を狙うのが間違いだったことに気づき改めて肝を冷やしたという、そういう話。

思えば、僕にとってアメリカの自然のイメージといえば、熊が付き物だ。僕の大好きなショーン・ペンの映画、『イントゥザワイルド』でも、アラスカで自然に根ざした生活を始めた主人公のもとに熊が襲い掛かってくるシーンが忘れられない。もっとも、ふと考えてみると、それは自分の故郷での原体験とつながっているのかもしれない。地元の静岡市瀬名、その裏山に当たる竜爪山に何度か熊が出たことがあったのだけれど、そのたびに人里近くに現れた熊が、人間に対する自然の怒りの象徴の様な気がしたものだった。

そういうわけで、コロラドに到着した時には、何となく、熊に出会うかもしれないという一抹の不吉な予感がしていたのだけれど、実際には、そんな危険なこともなく、ボルダー渓谷でのロッククライミング、ラブランド峠でのハイキング、エバーグリーンでのゴルフと、コロラドを大いに満喫したのだった。

lovelanda.jpg

結局、熊への予感なんていうものは、未知の山域に対する自分の不安から来るものなんだろうとなかば納得しかけていた時、連日のコロラド風ハンバーガーに若干辟易していた僕は、一緒にいたアメリカ人の友人を説得して、コロラド州一の大都市であるデンバーの日本料理店に向かった。

ヒューストンでの日本料理店の経験の中で、やはりアメリカで成功するためには、日本料理店もある程度アメリカ人に合わせなければやっていけないものなのだという確信を持ち始めていた僕は、その店に近づいた瞬間衝撃を受けた。周囲の建物と若干ミスマッチな様子で、日本の東北地方の山奥を思わせる建物がどっしりと構えている。中に入ってみても、驚きは続き、立派な日本庭園の中に5月を示すこいのぼりが垂れ下がり、客用のテーブルの横には、東北の小民具のコレクションを揃えた日本記念館が設けられている。

domo.jpg

聞けば、このお店Domo Restaurant(http://domorestaurant.com/)のオーナー兼シェフであるGaku Homma氏は、日本の田舎風の料理店を経営する傍ら、合気道の道場である「日本館」を設立し、地元のアメリカ人の若者たちに合気道を教えているそうで、弟子の青年たちからは「ガクセンセイ」と呼ばれて慕われているそうだ。料理についても、「わんこ寿司」というのが、看板メニューであり、わんこそば用のおわんに多様な種類の散らし寿司が振舞われるのだけれど、これがまた内陸部であるコロラドを全く感じさせない絶品さで絶品だった。

コロラドで、ここまで日本的な場所に出会えるとは思えず、すっかり気分がよくなった僕は、たまたまガク先生が不在だったことを残念に思い、合気道道場の生徒でもあるウェイターの若者に、ガク先生はどんな人なんですかと聞いてみる。すると、彼は「優しくて、熊のような人です」と答えたのだった。そう、やはりコロラドに熊はいたのである。

そんなお店でも、やっぱり最後は最高においしいラーメンを食べたのだけど、そのラーメンと共に出される注意書きがまた、熊の様なガク先生の人柄を示す、粋なものだった。

「ラーメンを食べる時は、音を立てて麺をすすり、器を持ち上げてスープを飲み干すのは、決して失礼ではありません。むしろ、おいしいと思ったら、おおいにそうして下さい。それがシェフにとっての最高の喜びです。」


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タツヒコ

Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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