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午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
06 | 2013/07 | 08
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「文化と食」の都市ヒューストンと呼ばれて
少し前の記事になるが、ニューヨークタイムズが"The 46 Places to Go in 2013"と題して、今年最も訪れるべき世界の観光スポットを、ベスト46のランキング形式で選んだ記事の中で、ヒューストンは全体で7位(アメリカの都市の中では最高の順位)に選ばれていた。普段海外からお客さんが来るたびに、観光プランの作成に困る身としては、ヒューストンが世界7位のホットな観光地というのは少々驚きだ。同記事の説明では、ヒューストンは一般的には「エネルギー産業の中心」として知られていることを認めながらも、ヒューストンが注目すべきスポットである理由として、この街が新たに、アメリカの「文化と食」の中心になろうとしていると述べている。

↓元の記事はこちら
http://www.nytimes.com/interactive/2013/01/10/travel/2013-places-to-go.html?_r=0

文化という意味では、ブロードウェイや、メトロポリタン、MoMA美術館を有するニューヨークがある中で、アメリカの「文化の中心」になるというのは、あまりにおこがましい気がしなくもない。ただ一方で、自分自身の感覚としては、ご当地びいきを別としても、全く的外れでもない気もする。何しろこの街には、シェールガス革命で活気を取り戻したエネルギー産業からもたらされる富が蓄積され、絶え間なく新しい人口が流入している。古今東西、金と人が集まるところには、文化も花開くというのが道理というものだ。以下でその具体例を少し見てみよう。

ヒューストンがエネルギー産業の中心であったのは、何もシェールガス革命に始まったわけではなく、20世紀初めに近郊に油田が見つかって以来、世紀を超えてエネルギー産業を牽引しつづけているのであり、そして、そのオイルマネーの一部もまた、昔からアートに向かっていた。冒頭の記事でも触れられていて、常に新しい文化施設が建ち続けるエリア、Houston Museum Districtの一角に、その営みの初期の証拠である美術館、Menil Collection(メニル・コレクション)はある。

初めての人はおそらく正しく発音できないSchlumberger(カタカナでシュランベルジェに近い発音です)は、業界の人には余りに有名な、フランス起源でヒューストンに本社を有する世界的な石油サービス企業だが、第二次大戦後の1940年代後半にヒューストンに移り住み、夫が同企業の重役となったジョン・メニルとドミニク・メニル夫妻は、ビジネスの傍ら、精力的な美術品の収集を続けた。現在夫妻のコレクションは、メニル・コレクションという無料の美術館として一般に公開されている。20世紀のシュールレアリスムや、現代アート、またそうしたアートに属するアーティスト達にインスピレーションを与え続けた古代美術やアフリカの美術に関する収蔵品は豪華の一言で、シュールレアリスムでは、ピカソや、デ・キリコ、ルネ・マグリット、現代アートでは、アンディー・ウォーホールやジャスパー・ジョーンズなどの有名どころの作品が惜しげもなく並べられている。

そして、最大の見所は、美術館に隣接して建つ、ロスコ・チャペルで、抽象表現主義の代表的な画家で、夫妻の友人でもあったマーク・ロスコ(Mark Rothko)が製作した八角形の建物だ。プロテスタントからカトリックに改宗したドミニク・メニルの意向も反映してか、建物は、「特定の宗教に帰属しない神聖な空間」と位置づけられているのだが、ロスコの巨大な壁画に囲まれたその内部に座っていると確かに、もし「どの宗教にも属さない、形而上的な「神」と呼ばれる存在に近づける場所」があるとしたらこういう場所なんだろうと思わせる、静謐で厳かな雰囲気が漂っている。

menil.jpg

一方で、何も仰々しい美術館芸術だけが「文化」なわけではなく、常に外部から移民を受け入れ続けるこの都市にあって、出自を問わず万人が楽しめる文化もある。難しい背景知識もいらず、歌とダンスで誰もが幸せになれる舞台芸術、ミュージカルだ。

夏の間、都心のハーマン・パークの中にある屋外劇場ミラー・シアターでは、無料でミュージカルを中心とした舞台が開催されていて、僕は先日ブロードウェイの古典的名作、コーラスラインの公演を見に行った。8時15分から始まる公演は11時過ぎまで続くのだが、普段10時過ぎにはほとんど街からいなくなるヒューストンっ子たちが、大きな会場を終演まで埋め尽くし、臨場感あふれるオーケストラの演奏もあり、最後まで熱気に溢れていた。

この作品は、様々な人生を歩んできたダンサーたちが、30歳前後のキャリアの曲がり角を迎える中、それでもダンスがしたくて、結局脇役でしかないコーラスラインのオーディションに必死に取り組むというストーリーで、日本でも劇団四季の重要な演目になっている。ただ今回改めて見てみて、同性愛者や黒人、中国やプエルトリコからの移民などのアメリカ社会のマイノリティーが、その逆境を乗り越えて夢をつかもうとする姿は、やはりアメリカに住んでこそ本当に理解できるのだと感じさせられた。

特に今でこそ傑作だと思えたのが、常に明るいジュディが出身地を問われ、「私はテキサスのエルパソ生まれなの!」と高らかに叫んだ時、会場から大きな拍手が沸き起こったことだ。1970年代の初演時、ブロードウェイでの公演を意識して、このセリフは「田舎のテキサスの更にド田舎」という意味合いで作られているはずなのだが、時を経て、この瞬間にテキサスのヒューストンで語られる時には、「発展を続ける我らがテキサスの出身」ということで、自信を深める住民のテキサスへの誇りを更に鼓舞しているのだった。

そう、ヒューストンがもし本当に、「文化の中心」であるとするなら、メニル夫妻の様なパトロンが必要である一方で、一人ひとりのヒューストン住民がヒューストンの文化的資産を自らのものとして楽しみ、育てていく意識が欠かせないだろう。そしてその意味では、ヒューストンに住む僕もその営みの一員なのだ。そこで、基本的に自己満足なこのブログが、少しでも「文化都市ヒューストン」を浸透させることに役立つことを信じて、このテーマは定期的に書いていきたい。

ところで、「食」については、またの機会に…

miller2.jpg



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George Zimmerman裁判の判決から一夜明けて
今回はたまには時事ネタについて書いてみたい。

今週はアメリカに来てから最も「人種」というものを意識した週だった。日本でどの程度報道されているのかわからないが、昨日までGeorge Zimmerman(ジョージ・ジマーマン)裁判と呼ばれた殺人事件の裁判が行われていて、ラティーノの加害者が、黒人の非武装の少年を射殺した事件ということで、今なお残る黒人への人種差別という文脈から、全米中の注目を集めていた。

事件のあらましはこうだ。昨年の2月26日、フロリダ州のSanfordで、ペルー移民のラティーノであるZimmermanが、自分が住むタウンハウスを巡回中に、黒人で17歳の高校生であったTrayvon Martin(トレイボン・マーティン少年)を見つけ、Martin少年が何か悪事を働こうとしていると考えたZimmermanは少年と口論になり、最後にはMartin少年を射殺してしまう。当初からZimmermanは正当防衛を主張して逮捕されなかったために、全米中で「Zimmermanが逮捕されなかったのは、被害者の少年が黒人だからだ」という抗議運動が巻き起こり、結果としてZimmermanは今年4月に殺人容疑で逮捕・第二級殺人罪で訴追され、6月10日から一ヶ月超に渡る裁判が行われていたというもの。特に裁判が終盤に近づいた今週は、連日CNNなどの主要ニュースネットワークがトップニュースとして裁判の様子を報じていた。

↓最新ニュース
http://www.usatoday.com/story/news/nation/2013/07/13/george-zimmerman-found-not-guilty/2514163/

昨日、全員が女性の6名の陪審員が下した評決は"Not Guilty"。ただ、事前及び事後の報道等を見る限り、この評決自体はある程度予想されたものであったようだ。僕がアメリカ刑法の素人であることを承知で論点を述べると、もともとZimmermanは正当防衛での発砲を合法とするフロリダ州の「自衛法」が適用されるとして釈放されており、検察側が今回有罪判決を勝ち取るためには、Zimmermanが故意にMartin少年を射殺したことを証明しなければならなかったのだが、ここ数週間の検察側の弁論は、素人目にもどんどん不利な状況に追い込まれていることが明らかだった。

ただ、やはりこの事件は、事件そのものに関する法廷戦術の巧拙以上に、マスメディアの過剰とも言える報道も相まって、「未だに黒人差別は根強く残っている」というイメージを全米に喚起したことが大きいと思う。特に、事件の加害者が、つい最近までアメリカにおける「新しいマイノリティ」であり、近い将来には「新しいマジョリティ」になる可能性もあるラティーノであったことも、「アメリカの人種構成が変わろうとも、黒人はいつまでも虐げれた存在」なるイメージを生み、事件に触れた人々が抱く感情をより複雑なものにしたと思う。

これ以上本テーマについて書こうとして、このテーマがブログの一つの記事としては到底書ききれない、根深く複雑なテーマであることに気づく。例えば、テキサスは南北戦争の歴史をひもとくまでもなく黒人の多い州で、実感として、小売店や工場により多くの黒人を見かける印象を受けるが、かといって、それをもって「黒人の社会的地位はいつまでも低い」などど軽々しく結論づけていい話でもないだろう。この裁判にしても、Zimmermanの弁護士は一貫して、「Zimmerman氏は黒人の被差別意識を背景とした不適当な憎悪の対象となり、無実の罪を着せられようとしている」と主張していた。

僕にできることはといえば、今回のZimmerman事件を通じて改めて表面化した問題を問題として受け止め、アメリカに住むものの一人として、その答えを考え続けることなのだと思う。その問題に真正面から向き合える時が来たら、また改めて筆を走らせてみたい。
アメリカで走ることについて語るときに僕の語ること
いきなり村上春樹へのオマージュ(もしくはパクリ?)のタイトルで書き始めてみたいと思う。

かつて、中国人の友人からこんな話を聞いたことがある。その友人は中国東北部の貧しい地域の生まれで、彼女が10代の少女だった90年代後半、天安門事件以降の共産党による文化統制の強化もあり、その街では中国国外に関するものはほとんど手に入らなかったという。唯一の例外が街の外れにあったブラックマーケットで、そこではごく少数ではあるが、統制を逃れた品物が流れてきていて、中でも人気だったのがハリウッド映画を「録音」したカセットテープだった。当時その街では、映像を再生するビデオデッキは余りに高価な品物だったのでテープだったのだけど、彼女にとってはそんなテープだけでもとても刺激的で、音声としてのハリウッド映画に頭の中で自分なりに映像を補完して、映画から垣間見える繁栄したアメリカの生活に想像を膨らませていたという。

中でもお気に入りだったのが、それ自体アメリカ現代史とも言える「フォレスト・ガンプ」で、様々な困難に対して懸命に立ち向かっていく登場人物たちの姿に自分の姿を重ね合わせ、辛いことがあるたびに何度も聴き直していたという。そして、特に大好きなシーンだったのが、物語の後半、主人公のガンプが、長年思いを寄せていた幼馴染からもらったナイキのランニングシューズを履き、走ってアメリカ大陸を何度も横断する場面。会話の場面と違って、走っている時の景色は彼女には想像するしかないのだけど、主人公に共鳴して大勢の人達がともに走り始めるという描写に、そんな多くの人達をどこまでも走らせるアメリカの大地とは一体どんな美しい道なんだろうと、遥か彼方の地への憧れを強めていたという。

「走る」という行為は、ガンプの様な先導者がいなくとも、アメリカに住む多くの人達を惹き付けている。以前当ブログで、テキサスにいかに運動不足で太った人達が多いかを書いたことあるけれど、一方で走るのが大好きなアメリカ人も少なくない。僕の思うところ、そこには2つの理由があると思う。

一つは自分をコントロールするのに役立つから。件のエッセイの中で村上春樹は長編小説を書くという作業は根本的には長距離を走ることに近く、小説を書き続けられる状態を保つことに役立つと語っている。一旦リズムを決めてしまえば、後はそのリズムを長期間継続することが重要になることが似ているという。長編小説家でなくとも、自分をコントロールすることが大好きで、日々のオフィスでの激務に極度の集中状態を継続することを必要としているアメリカのホワイトカラーにとっては、長距離を走るという行為は、生活全体に役立つというトレーニングになるだろう。

そして、もう一つは、ルールがシンプルだから。移民社会アメリカにおいては、国民的スポーツと言われるアメフトにしても、ルールすらわからない人々も少なくはない中で、ランニングシューズさえあれば、いつでもどこでもすぐに始められるランニングは、人種や民族を問わず、多くのランナーを生んでいる。

7月4日の独立記念日、僕はアメリカに来て始めて、「Run Wild 5K」という5キロランのレースに出場した。超車社会であるヒューストンでは普段、一部の遊歩道を除き、公道にはほとんど歩行者やランナーを見かけず、街中でのレースが中々想像できないのだけど、この日の朝は、中心部のUptown周辺の一等地を交通規制して、何とも贅沢なランニングコースが作られていた。暑さを避けてレースの開始時間は7:30に設定されていたが、前日に会食に参加したこともあり寝不足気味であった僕を尻目に、普段から早起きなアメリカ人は、万全のコンディションという雰囲気で、スタート地点に集まっている。他のスポーツと違い、白人、黒人、ラティーノ、アジア系、様々な人種のランナーがひしめき合っているのが興味深い。

独立記念日らしく、レース開始直前には地元のアーティストがアメリカ国家を歌い上げ、参加者の一体感が高まった中でのスタート。かなり後方からスタートした僕は、楽しみながらのんびり走る人達の波を書き分けて前に出ようとするのだが、まだ7時台とはいえおそらく華氏90度は超えていると思われる暑さと、もっと根本的に日頃の練習不足がたたって3キロ付近ですっかりバテバテになってしまった。「リズムをつかめば後はそれを続けるだけ」とはいかない様で、こんなはずじゃなかったと自分の肉体への不甲斐なさに愕然とする。ただ一方で、久しぶりに全力で走ったことによる爽快感と、仲間たちと「走る」時間と場所を共有したことの喜びは病みつきになりそうだった。

何より、来年1月にヒューストンマラソンというフルマラソンへの参加登録を済ませている僕としては、この悔しさをばねにいい加減に真面目にトレーニングに励まないとならないのだ。まずは秋にハーフマラソンを完走することを目標としてみようと思う。

フォレストガンプでは、ガンプ自身の思いは別として、周りの人々は彼を「平和を願って走る者」だと信じて一緒に走っていた。さて、1月のマラソンは何を願って走ろうか…。

5k run1


コラチェとアメリカ南部的生活
今回は、以前友人にブログに書くと約束しながら、記事にできていなかった出来事を書いてみようと思う。

以前、アメリカ人の友人とテキサスのハイウェイをドライブしていた時のことだ。例によってどこまでもまっすぐ続く道に車まで飽き飽きしたかの様にガソリンが尽きかけてきたので、最寄のガソリンスタンドを探す。アメリカのハイウェイには、少なくとも10数マイルおきにはガソリンスタンドがあり、大きなハイウェイでは、複数のガソリンスタンドと、それに併設して複数のハンバーガーショップやファミレスなどの飲食店がまとまって営業していることも多い。そこで僕は同乗する友人たちに聞く。「ガソリンスタンドと食べ物、いくつかあるけど、どこがいい?」すると、アメリカ人の友人たちは口を揃えてこう答えるのだ。「最もアメリカ的な組み合わせに決まってるじゃないか!エクソンモービルでガソリンを入れて、マクドナルドでハンバーガーを食べるのさ!」

思えば、アメリカ的な生活様式とは何だろう?今はもう死語になったのかもしれないが、中学の社会の教科書には、アメリカ社会、そして世界のその他の社会が、ファストフードに代表される均質化された大量消費社会に画一化されていく傾向を象徴する言葉として、社会のマクドナルド化(McDonaldization)」という言葉が記載されていた様に思う。それでは、アメリカ人は日本のマクドナルドが躍起になって定着させようとしている様に、朝は決まってマクドナルドの朝マックのセットを食べるのだろうか?事態はもう少し複雑である様に思う。

例えば、少なくともテキサスで最もポピュラーな朝のファストフードと言えば、Kolache(コラチェ)だ。ふっくらと焼き上げたパンの中に、ソーセージやハム、卵などを入れ、ハラペーニョ等で味をつけたシンプルな料理で、もともとはチェコやスロバキアからの移民が持ち込んだ東欧の家庭料理だが、アメリカ南部の各地で独自の発展を遂げ、ヒューストンでも各コラチェ専門店が自分たちのコラチェがヒューストン一だと主張し合っている。テキサスに駐在し始めた頃、尊敬する大先輩から、「午前中にお客さんに会いに行く時は、できるだけコラチェやドーナツを買っていった方がいいよ」とのアドバイスを頂き、できるだけそうしたおみやげを持っていく様にしているのだが、仲良くなったお客さんからは画一化の反対に、「xxxのコラチェが食べたい!」との注文を受けることがあり、それでもお客さんに喜んでほしくて、多少遠回りでも指定されたコラチェ屋に寄っていくのだ。

さて、エクソンモービルとマクドナルドがアメリカの象徴とうそぶいていた友人から、「最もアメリカ南部的な生活」を見にいこうと言われていたことがある。正確に言うと、「最もRedneck(レッドネック)的な生活」である。誤解なき様に補足しておくと、この「レッドネック」と言う言葉は、元々はアメリカ南部の農村部の白人貧困層を指す(農村での炎天下の肉体労働により首が赤く日焼けしていたことから)侮蔑的な意味を持った言葉だが、最近では、カントリー音楽の復権に代表される様に、アメリカ南部の田舎の素朴な生活様式や価値観を積極的に肯定しようという動きの中で、その言葉の意味付けが捉え直されており、その友人もそうした肯定的な意味で使っていることをご理解いただきたい。

その最もアメリカ南部的な生活をしているのは、友人の親戚であり、オースティンの南西の牧草地帯に住んでいるという。オースティン方面から車を走らせ、もう少しで最寄の最後の大きな町を抜けようという時に、彼らへのお土産を買うために、ファーストフード店で車を止める。そのファーストフード店では、やはりマクドナルドではなく、「この辺りで一番おいしいと噂の」コラチェ屋さんだった。

ハラペーニョが効いたコラチェに小腹を満たしながらその住所に着くと、そこには牧草地に囲まれた小さな森があり、まるで森の中に眠るクメールの遺跡アンコールワットの様に、周りの植物と絡み合う様にして、一台の大きなキャンピングカーが立っていた。聞けば、今はこのキャンピングカーの中で生活しながら、横の土地に、ゆっくりと新しい家を作っている最中だそうだ。家が建つまでとはいえ、キャンピングカーで何ヶ月も暮らすのは日本人には驚きだが、実家から持ってきたというバーベキュー用のグリルを3つも設置し、自然の中で毎日おいしい肉を焼くのはすこぶる快適だという。まさに、素晴らしきレッドネック的生活というわけだ。

Redneck1.jpg

かつては、スターバックスやマクドナルドがアメリカどころか全世界を画一化すると言われたアメリカだが、次第にラティーノやアジア系の人口が増え、いずれは白人がマイノリティーに転落するとの予測もある中で、均質化していたと言われていた白人社会の側からも、例えば「レッドネック的」価値観の捉え直しという様に、白人社会の中での地域的、社会集団的な差異を意識したアイデンティティーの再定義が生まれ始めている様に思う。そしてそうした動きは、現代アメリカ社会の多様な構成員を巻き込んでの「何がアメリカ的なのか」の論争に、多様な地平を盛り込んでいくことだろう。

少なくとも、今遠いアフリカの地で、アメリカ的価値を代表して頑張る友人には、「マクドナルドとスターバックス」よりは「コラチェとキャンピングカー」が似合うのは間違いない!


写真は、キャンピングカーの隣で、自分自身がテキサス的価値の象徴と言わんばかりの存在感を誇示していたビッグホーン。

Big Horn





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アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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