午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
09 | 2013/10 | 11
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ヒューストン観光ガイド④ビア・カン・ハウス
ヒューストンのアート世界において重要な位置を占めるVisionary Art(視覚芸術)は、個人的に「持たざるもののアート」だと思っている。

持たざるもののVisionary Artとして世界的に有名なものに、カリフォルニア州のカリパトリアにあるSalvation Mountain がある。付近に住むレオナルド・ナイト氏が廃材や大量の絵の具を用いて、一人で作り上げたものだ。僕が俳優としても監督としても大好きなショーン・ペンが監督した2007年の映画「イントゥ・ザ・ワイルド」に、このVisionary Artを舞台にした印象的な場面が出てくる。

アトランタの裕福な家庭で生まれ、大学を優秀な成績で卒業した主人公のクリスは、経済的、物質的には恵まれていても、精神的には満たされない生活に嫌気が差し、大学を卒業したその日、自分の車に最低限の荷物を乗せて、アメリカ各地を巡る旅に出る。様々な場所を訪れ、これまでの人生でいつの間にか溜め込んでいた偏った価値観や思い込みを少しずつ捨てていったクリスは旅の終盤、このSalvation Mountainを訪れる。そこで、一見自分よりも遥かに貧しく見えるナイト氏が、独自の解釈による神の愛に満たされていて精神的には大いに充実しており、遂にはたった一人でこうした壮大なアートを作り上げたことに感銘を受ける。そして、本当の幸せとは何かについて自分なりの考えを固めたクリスは、アラスカの荒野へと(「イントゥ・ザ・ワイルド」)へと旅立っていく。

ここヒューストンにあるVisionary Art、ビア・カン・ハウスからも同じ様な「持たざるものの豊かさ」を感じられる。アメリカ有数の鉄道会社ユニオン・パシフィックのいす張り職人という、20世紀のアメリカ労働者階級を代表する様なキャリアを送ったジョン・マルコビシュ氏は同社を引退後、長く連れ添った妻のマリアとヒューストンでの静かな余生を送るはずだった。しかし、本人曰く、「芝刈りばかりの生活に飽きた」彼は、とはいえ海外旅行に出るだけの貯えもなかったため、何よりの楽しみだった晩酌後のビールの缶を使って、自分の家を飾りつけ始める。

その後何と18年に及んだ彼のアート・プロジェクトによって、夫婦の家の壁は、テキサスの地元のビールを中心に様々なブランドのビールのアルミ容器で覆われ、屋根からは同じくビールの缶のふたをつなげて作った飾りが、一見すると銀のレースの様に垂れ下がっている。余りに大量のビールの缶でできたアート作品に圧倒され、訪れた者は、ヒューストンにいながらにして、まるで魔法の国に迷い込んだ様な錯覚に襲われるのだ。そして、家の玄関には、「ワシらは黄金のルールに従って生きているんだ」「アーメン」という言葉が掲げられ、持たざる境遇の中で、それでも自分達が持っていた物を使って、ヒューストンの住民たちをあっと言わせるアートを作り上げた彼らが、いかに満たされえていたかを示している。


一人一人の人生は、それ自体がそれぞれ一つのアートだと思う。もしあなたが自分の境遇に不満があるなら、自分が持たざるものだと思うのなら、自分がそれでも持っているものを見直してみるといいと思う。例えば、あなたが憂さ晴らしに飲むビールの缶、それを使って壮大なアートを作り上げた奇才だっている。だったら、今あなたが持っている数少ないものにしても、あなたの人生というアートをより豊かにするのには十分すぎる程ではないだろうか?

beer 1

beer 2


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Memorial DrからMalone Stに入ってすぐの住宅街の一角にありますが、付近には駐車場もないので、近くに路上駐車するしかないと思います。土日の午後しか空いておらず、その意味でも貴重なアートですが、絶対に一見の価値ありです!

Beer Can House(ビア・カン・ハウス)
住所: 222 Malone St, Houston, TX 77007 アメリカ合衆国
http://www.beercanhouse.org/about.php
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Lady SamuraiとLady Texan / アメリカ南部の中の女性
多分日本では今更な話題なのだと思うけれど、ヒューストンでは日本の書籍はなかなか手に入らないことを前提にして書くと、最近読んだ北川智子さん著の著作「ハーバード白熱日本史教室(新潮新書/2012)」には大いに感銘を受けた。タイトルの元ネタとなっている政治哲学者マイケル・サンデル教授と同じく、現在はハーバード大学で教鞭を取る北川さんであるが、学生時代にハーバード大学に短期留学して日本史の授業を受講した際、その授業で教えられる日本史においては、アメリカ人が大好きなサムライは山ほど出てきても、女性が一切出てこないことに大きなショックを受けたという。そして、「とにかくLady Samuraiは絶対にいたと思う」という強い思いを胸に抱いたのだ。

時を経てハーバード大学の教授となった北川さんが、学生たちに教えるLady Samuraiというアイデアは独創的かつ刺激的だ。彼女は、日本の中世において、武士階級の女性はサムライである男性の影に隠れていたわけではなく、「戦わずに強く生きた女性」として、独特の重要なポジションを持っていたと説く。それは歴史上の女性の女性らしさを強調するのでも、フェミニズムの様に男女同権的な立場を採るわけでもない。あくまでも武士階級の女性という存在に独自のアイデンティティーを見出そうとするのだ。例えば、豊臣秀吉の妻である北政所(大河ドラマ等では通常ねねという愛称で呼ばれる)は、自身が戦に赴くことはなかったものの、彼女の意見は秀吉と言えども尊重せざるを得ず、当時の大坂城やその城下町は秀吉とねねが一対になって統治していたと考えられるという。

世界的に極めて男性的なものとして認識される日本のサムライの世界。そこにLady Samuraiという独自の存在を持ち込もうという北川さんの考えはすごく魅力的だと思う。それでは、翻って僕らが住むここテキサスはどうだろうか。テキサスと言えば、日本のサムライの世界に負けずとも劣らず、伝統的に強い男性のイメージが目立つ土地だ。日本の皆さんには、カウボーイハットとブーツに身を包んだ筋骨たくましい男の姿が思い浮かぶことと思う。1836年の独立からの短い歴史の中においても、独立の英雄、オースティンやサム・ヒューストン将軍等、主な登場人物はほとんど男性だ。現在にしても、共和党ティーパーティーの急先鋒として頭角を現している政治家、テッド・クルスにしても男性である。

それでは、テキサスの歴史において女性はどこにいたのだろうか?まず、文化の世界のおいては、強く生きたテキサスの女性たちが浮かんでくる。

例えば、ドミニク・デ・メニル。第二次大戦の難を逃れてヒューストンに移り住んだ彼女は、夫でシュランベルジェの重役であるジョンとともに、ヒューストンを代表するフィランソロピストとして、美術品の収集と在ヒューストンのアーティスト達の支援を続け、文化都市ヒューストンの形成に大きく貢献した。現在でも彼女の業績は、ヒューストンを代表する私営美術館、メニル・コレクションとして輝きを放ち続けている。また、現代においては、例えばビヨンセ。1981年のヒューストンに生まれた彼女は、幼い頃から圧倒的な音楽的才能を発揮し、最初はデスティニーズ・チャイルドの一員として、後には「強い女性」のイメージを体現したディーバ・ビヨンセとして、大活躍を続けている。

それでは、歴史の主軸である政治の世界ではどうだろうか?その探求は未だ道の半ばだ。ただ先日、件のメニル・コレクションで、テキサスにもきっと強く社会をリードしていった女性、言うならばLady Texanがいただろうと思わせる一枚の絵画に出会った。ベルギー出身の現代アートの巨匠、リュック・タイマンスの絵画、"The Secratary of States"だ。ご覧の通り、ブッシュ政権時のアメリカの国務長官コンドリーザ・ライスの顔を描いた作品であるが、無機質で見る者に漠然とした不安感を感じさせる物が多いタイマンスの作品においては珍しく、表情にも色使いにも力強さが溢れている。

rice2.jpg

ライスは同じアメリカ南部でもアラバマ州の生まれではあるが、黒人と女性という二つの差別と戦い続けて、国務長官にまで登りつめた。タイマンスが捉えた彼女の強固な意志は、南部社会という環境でも女性は強く生きられると感じさせ、更に言えばテキサスにもLady Texanはいるはずだと感じさせはしないだろうか。

ここ最近期せずして、日本で働く女性がキャリアを続けることの困難さを感じる出来事が重なっている。今の日本社会は女性が30代、40代にキャリアを続けていくには、絶望的な程に環境が整っていないと感じる。そして、それは日本社会にとって余りに大きな社会的ロスだと思う。一方のアメリカ。ライスと同じく元国務長官であるヒラリー・クリントンが次期大統領選を見据えた政治活動を再開するなど、Lady Americanはますます勢いを増している。現代のLady Samurai達が、女性としてのアイデンティティーを保ちつつ、最大のパワーを発揮する社会を作ることができるか、それは僕らがより真剣に考えなければいけない課題だと思う。
ヒューストンがアメリカで最高の都市である17の理由
ヒューストン在住経験のあるオーストラリア在住の友人より、同じ題名のついたオーストラリアのサイトの記事を教えてもらったので、この場を借りて紹介してみたいと思う。何故オーストラリアのサイトが、これほどヒューストンのことをほめるんだろうと思わなくはない。ただ、その17の理由それぞれを読んでみると、これまでこのブログで自分なりにヒューストンの魅力を紹介しようとしてきた方向性は間違ってなかったと感じさせられるところがあり、いままでヒューストンについて何を語ってきたか振り返りつつ、その理由の一部を紹介してみたい。

↓元の記事
17 Reasons Why Houston Is The Best City in America

その⑤
ヒューストンはニューヨークを除いて、他のどこよりもフォーチューン500に含まれる企業の本社が多い都市である。

「ニューヨークを除いて最も多い」という表現にどれほどの意味があるのかと思わなくはないものの、ヒューストンにはシェールガス革命で盛り上がる石油ガス産業を中心に、世界的大企業の本社が多い。そして、Conoco Phillipps, Marathon Oil, Apacheなどのそうした企業の本社は、弊社のオフィスと僕の自宅があり、一部で「ヒューストンの三鷹」と呼ばれる西のはずれのエリア、Energy Corridorにあるのだ。そう思うと、このエリアに住んでいることが少しは誇らしくなるものの、ここがほとんどの文化的施設から遠いことは間違いなく、現在引越しを検討中ではあるのだけど…。

関連記事ヒューストン観光ガイド③ Wiess Energy Hall & Ocean Star Offshore Drilling Rig & Museum


その⑥ ヒューストンはNASAの宇宙飛行士達のホームであることを理由に「スペースシティー」と呼ばれる。

スペースシャトル計画が終了し、現在は、連邦政府の閉鎖の影響で多くの職員が休みを取らされている等、逆風も大きいものの、NASAがあることがヒューストンに住むものにとって大きな誇りであることに異論はないだろう。宇宙開発にどれほどの意味があるのかについて議論があることはわかるものの、複雑に利害が絡み合ったこの時代、多くの人々が共通の夢を抱ける数少ない存在の一つが「宇宙」であることは間違いないと思う。

関連記事スーパームーンとNASAの向かう先

その⑧ ヒューストンにはとてつもなく多様なエスニック料理、素晴らしいシーフード、そして絶品のバーベキューがある。

その⑦とその⑧については「食」についての記事であり、僕もおいしいラーメン屋がないこと以外はヒューストンの食を高く評価しているのだけど、ここではこの記事が「多様なエスニック料理」の代表としてベトナム料理を挙げていることに注目したい。ベトナム戦争の難民として70年代に大量に移住したベトナム人達は、40年程の懸命な努力によって、文化的にも経済的にもヒューストンで一定の地位を占める様になった。そのことに同じアジア人として敬意を表したいからだ。

関連記事メコンを遠く離れて

その⑨ アストロズは無視しろ!テキサンズ、ロケッツ、ダイナモはみんな強いぞ!

ヒューストンには、野球のアストロズ、アメフトのテキサンズ、バスケのロケッツ、サッカーのダイナモとアメリカの主要スポーツのホームチームが全て揃っている。そして、野球のアストロズ以外はみんな強い。オーストラリアのこの記事でさえネタにするほど、アストロズの弱さは有名だ。しかし、アストロズには、様々な人がスタジアムに集い、一つの熱狂を共有するというスポーツが持つ公共的意義を思い出させてくれたという意味で感謝している。

関連記事Take Me Out To The Ball Game / スポーツと公共性

その⑬ ヒューストンには、ロスコ・チャペルの様な世界的に有名で独特な美術館・博物館や文化財がある。

誰が何と言おうと、僕にとってはヒューストンは何より「文化都市」である。20世紀アメリカ美術が残した奇跡ともいえるマーク・ロスコのロスコ・チャペルを始め、現代アートならメニル・コレクション、装飾芸術ならヒューストン美術館、更に視覚芸術としてのOrange ShowやBeer Can Houseなど、アメリカの他の都市に負けないだけの多くのジャンルのアートが揃っている。これからも少しでも多くの人にヒューストンアートの魅力を知ってもらえる様に、探求を続けていきたい。

関連記事ヒューストン観光ガイド① ロスコ・チャペルヒューストン観光ガイド② オレンジ・ショー

その⑯ ヒューストンは最近ニューヨークを抜き、アメリカで民族的、人種的に最も多様な都市となった。

そして、である。アメリカの中で、世界の中で、ヒューストンという場所をこれからの世界の将来を占う上で、とても貴重な存在にしているのはこの多様性である。石油ガス産業の隆盛もあり、ヒューストンには過去10数年で海外から多くの移民が流入し、ついに最近ヒューストンにおいてアングロサクソン系住民はマイノリティーとなった。(人口的にはラティーノの方が多い。)そうした経緯は、ヒューストンが誇る名門大学ライス大学のクリンバーグ教授のチームが「INTERESTING TIMES」という興味深い映画にまとめている。個人的には、この圧倒的な多様性からは、今後の日本社会が学べることもあると思っている。

関連記事INTERESTING TIMES

日本では知られていないけれど、アメリカ第4の都市であり、急速な発展を続け、様々な魅力にあふれた都市ヒューストン。僕個人としても、アメリカで最高の都市だと思っています。これからもこの都市の素晴らしさ、この都市が直面している課題やそれに立ち向かう人々の姿を、日本語で発信し続けていきたいと思います!

写真はヒューストンの玄関口ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港で、訪問者を迎える宇宙服に身を包んだロングホーン
写真 (8)

過去の終わりと現在の始まり / ヒューストンの中のインド
もう10年も前のことになるけれど、二十歳の時、思うところあって、インド、パキスタン、ネパールといった南アジアを何ヶ月か当てもなく放浪していたことがある。当時の僕は、考古学や古い時代の美術品が大好きだったこともあり、そうした歴史的遺産に溢れたインドは憧れの場所だった。また、ヒンドゥー教の聖地バナーラスを訪れた日本人旅行者達を描いた遠藤周作の名作「深い河」の影響もあって、ヒンドゥーの伝統を忠実に守り、まるで時が止まった様なインドに行けば人生が変わるんじゃないかといった期待も持っていた。

しかし、ニューデリーから始まり、リシュケーシュ、アーグラー、バナーラス、カルカッタ、プリーと悠久の大河ガンジス川に沿ってインドの歴史的名所を巡っていくうちに、僕の中には言い様のない違和感が芽生えていった。そして、人で溢れた北インドに少し食傷気味になり、デカン高原を越えて、西インドの近代的都市ムンバイまで来た時、その思いは決定的になった。そこで見たのは、近代的ビル群であり、スーツをしっかりと着こなすと同時に頭はかっちりターバンで固めたビジネスマンであり、日本と変わらずおしゃれに着飾った若者達だった。

ある夜、仲良くなったそんなムンバイっ子の若者の一人に、自分が思っていたインドと実際に体験したインドとの違いがいかに大きかったかを話してみた。すると彼はこんなことを言ったのだ。「いったい君はインドに何をしにきているんだい?もちろん永遠に時が止まった世界なんてここにはないさ。ここにあるのは、今まさに急速に発展しようとしている国。全てがすごい勢いで変わっていて、近い将来、アメリカや日本を追い越そうとする国なんだよ!」

今思えば、10年前のインドの若者としては典型的な、気持ちのいい自信に溢れた発言だったと思うが、当時の僕には衝撃的で心の底からはっとさせられる思いだった。それまで僕は、歴史的遺跡や古い美術品、総じて「過去」に目を向けていたけれど、その時、自分が最も「過去」を守っていると考えていたインドですら、多くの人たちは「未来」に向かってまっすぐに進んでいたことを実感させられたのだ。僕にとっては、その時が「過去」から離れて、「未来」を見据えながら、「現在」を生きようとし始めた瞬間だった様に思う。

そして10年後の今。幸いまだ日本を追い越すには至っていないけれど、インドは豊富な人口を背景に急速な経済発展を続けており、インドを「時が止まった国」とイメージする人はもうほとんどいないだろう。本国の勢いを背景に、ここアメリカにおいても、インド人移民は、教育レベルの高い歓迎されるべき移民として、広く管理職や専門職に従事しており、ヒューストンでも多くのインド人に出会う。特に最近は、ビジネスにおいてもインド人の取引先と関わることが多いのだが、一見こちらに理解を示している様に見えて、次第に自分の要求を押し出して行き、気づけばクリティカルな部分で彼らの要求を受け入れざるを得ない状況に導かれている彼らの交渉力には、毎回舌を巻いてしまう。

またヒューストンには、そうした豊富なインド移民人口に支えられて、良質なインド料理店が点在しており、インド料理好きにはたまらない場所だ。社会人になってからの6年半を過ごした東京の港区芝地区も、IT企業用の人材としてインド人住民が多く、インド料理店も多かったが、ヒューストンの味の水準はレベルが違うと思っている。特に、ヒューストンの南西、高速道路59号線沿いには、インド料理店や、インド系の貴金属店、服飾店などが立ち並び、ちょっとしたインド人街の様になっているエリアがあり、そこには、北インド、南インド、ベンガル、パキスタン、ネパールといった、南アジアのそれぞれの地域の味を代表するレストランに出会える。

特に、僕のお気に入りは、そのインド人街の中心に位置し、特にインド料理店が多く、駐車場まで香辛料の香りが漂っているモールにある「ヒマラヤ」というレストラン。ヒマラヤという名前だけれど、料理の内容はパキスタンや西インド系の料理や味付けが多い。そしてぜひ注文してほしいのが、下に写真を掲載したヤギ肉のビリヤーニー。香辛料と米、肉と野菜を一緒に炊き込んだ料理だが、いつもレジにどかっと腰を下ろしている店主によれば、この店の名物料理らしい。

日本人がインド料理といえば、真っ先にイメージするのはカレーだろうが、ビリヤーニーもインド全域、特に西インドでは非常に典型的な料理で、16世紀に中東から来たイスラム教徒がインドを征服し、ムガル帝国を建国した時からインドに広がった料理だ。ただし、ビリヤーニーはその後、インドやパキスタンの各地域で、食材や調理法が異なる独自の複雑な発展を遂げ、今では世界的に南アジアの料理だと考えられている。料理についても、インドの歴史は時が止まった歴史ではなかったというわけだ。

ビリヤーニーを食べながら、着々と変化を遂げていったインドの過去を感じ、改めて僕は「現在」を生きようと思っている。

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アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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