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午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
11 | 2013/12 | 01
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ヒューストンとアフリカ/故ネルソン・マンデラ氏に捧ぐ
20世紀を代表する偉人がまた一人亡くなった。南アフリカ共和国の元大統領であり、反アパルトヘイト運動に身を捧げてきたネルソン・マンデラ氏である。

もう4年前のことになるが、ヨーロッパを拠点にアフリカ各地を巡る長期出張をしていた。今はわからないが、当時はヨーロッパからサブサハラアフリカに行く場合、一旦南アでトランジットした方が飛行機代が安くなることが多くて、南ア最大の都市、ヨハネスブルグには何度か立ち寄っていた。そして、一度だけヨハネスブルグ市内に入る機会があって、その時、アパルトヘイト下のヨハネスブルグ最大の旧黒人居住区として有名なソウェトを訪れたのだ。一時期よりは改善したとはいえ、圧倒的に貧しいスラムの様子は衝撃的で、同じ都市という空間の中で、ここまで人種間で境遇に差があるのかと感じさせられたことを僕は忘れることができないと思う。そして、そんな絶望的な状況下で、アパルトヘイト撤廃を信じて戦い続けたマンデラ氏の人格にも心からの尊敬を覚えたものだった。

思えば、南アフリカのアパルトヘイトは21世紀的状況を先取りしていた問題だったと思う。というのは、南アでは少数派であった白人が、多数派であった黒人を差別していたのだ。アパルトヘイトが深刻化していた1980年当時で、白人人口470万人に対して、黒人人口は2300万人であったという。そして、現代のアメリカやヨーロッパでは、人口構成という意味では、似たような状況が現出しつつある。ここヒューストンでも、石油ガスブームに乗じて移民が増え続けた結果、最近ついにラティーノと黒人の人口がアングロサクソン系の白人の人口を超え、白人は人口の意味ではマイノリティになりつつある。20世紀後半のアメリカにおいても、マイノリティであった頃の黒人たちが、公民権運動における捨て身の努力によって待遇の改善を図ってきたわけだが、今となっては、道徳的にのみならず人口構成的にも、アメリカは黒人差別の昔に戻ることはできないだろう。

但し、多数派となったマイノリティー達は時に問題の先鋭化を引き起こす。個人的に今年のアメリカを代表する事件の一つだと思っているジョージ・ジマーマン裁判は、全米において改めて黒人差別への反対運動を引き起こしたが、事件の構造としては、ペルー系のラティーノであるジョージ・ジマーマンが、黒人であるトレイボン・マーティン少年を殺害するという事件だった。つまり、事件の加害者も被害者もアメリカ社会における元マイノリティーなわけであり、そうした新しい状況に対して、白人の作った法律や司法制度等の社会システムがどこまで機能できるのかという問題をも提起していたと思うのだ。

一方で、黒人はアフリカは最早、必ずしも持たざる者であるわけではない。ここヒューストンは何といっても世界の石油ガス産業の中心であり、世界中の石油ガス業界と密接なつながりがあるわけだが、それは21世紀の資源大国として存在感を増してきたアフリカも例外ではなく、注意深く見てみると、ナイジェリア、アンゴラ、赤道ギニア、ガーナなどアフリカの新興産油国の企業が進出しており、年に一度はここで、サブサハラアフリカの石油ガス産業に関する最大の会議も開かれている。その結果として、アフリカとの人の移動も盛んで、街で出会う黒人も、実は最近アフリカから来たばかりの移民だったりする。僕がヒューストンでの運転を習ったドライビングスクールの先生も、10年前にナイジェリアから移民したイボ族のナイジェリア人で、ナイジェリア話で盛り上がったものだった。

それでは、最後のフロンティアとして台頭しつつあるアフリカを背景に抱え、ラティーノと合わされば多数派となった黒人はこれからのアメリカ社会でどういった存在となっていくのだろう。少なくとも、黒人の多くが高等教育を受けられず、結果として、他の人種集団と比べて、経済的及び社会的に不利な状況に置かれていることは未だ否定できない。それでも、ネルソン・マンデラ氏が、そして、今年かの有名な演説から50周年を迎えたキング牧師が夢見た平等な社会に近づいていることは間違いないだろう。

かつて、ネルソン・マンデラ氏はこう語っていた。

「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから」

現代の南アフリカで、アメリカで、そしておそらく日本でも、自分の周りに色々な人々がいるんだという自覚からスタートして何を学んでいけるか、それがますます求められていくと思う。

写真は黒人人口が7割を占める都市、ルイジアナ州のニューオーリンズで見つけた黒人美術。

new orleans2


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ニューヨークでアメリカ的であることについて考えてみた
サンクスギビングの連休を利用してニューヨークに行ってきた。恥ずかしながら30歳過ぎて初めてのNY、憧れのスポットの数々に感激するばかりだったが、この街は僕に改めて「アメリカ的であるとはどういうことか?」という疑問を喚起させた。訪れたいくつかの場所を手がかりに、僕なりの初NYについて書いてみたい。

朝のセントラルパーク、よく整備された園内を歩きながら思索にふけってみる。このNYは一見、自分が暮らすテキサスとは随分違う様に見える。それでは、アメリカ全土に共通するアメリカ的なものがあるのだろうか、あるとしたらどんなものだろう。ふと顔を挙げると、大きな池の向こうにNYの町並みが見える。古くからの町並みが残るこのエリアは、建物にもヨーロッパ的なものが多く、セントラルパークを頭の中でハイドパークに置き換えれば、自分が今ロンドンにいる気分になってくる。

central park

そう、やはり様々な面で、アメリカの原点はかつての本国であるヨーロッパなのだ。絵画や演劇といった文化の面でもアメリカ文化はヨーロッパの伝統を下敷きにしている。しかし、全てがヨーロッパと同じというわけでもない。アメリカへの初期の入植者達が、伝統的な身分制度に縛られ、また、宗教的にも制約の多いヨーロッパを離れ、アメリカに理想の新世界を求めた様に、文化の面でもヨーロッパ的な伝統を乗り越え、アメリカ的な新しい価値を打ち出そうという試みが色々と行われてきた。そして、僕の個人的な考えとしては、アメリカ的な価値の中心は、現実世界に対する楽観的な態度と、個人独自の価値観への寛容さだと思う。今回訪れた場所から、そのヒントを見てみたい。

例えばミュージカル。憧れのブロードウェイで、4年前にロンドンでも見た「オペラ座の怪人」を見てみた。ロンドンが生んだミュージカルの天才、アンドリュー・ロイド・ウェバーが製作したこのミュージカルを初めて見た時、僕はいかにもヨーロッパ的な作品だという強い印象を受けたものだった。あくまでヨーロッパの歌劇の伝統に基づいた作曲もそうだが、何より、生まれつきの不幸な境遇によりオペラ座に縛られた怪人、そしてその呪われた存在の寵愛を受け危うい成功を収めていくヒロインという設定だ。そこには、自分のみを頼りに人生を切り開こうという姿勢は弱く、怪人の存在にはヨーロッパの戯曲にしばしば見られる人生の悲劇性が投影されている。

対してブロードウェイでのアメリカ生まれのミュージカルの代表といえばシカゴ。正確にはヒューストンにツアーに来ていたNYの劇団の公演を最近見たのだけど、このミュージカル程アメリカ的価値観を代表しているものもないと思う。主な登場人物たちは愛人や夫を殺害した女性の囚人達。それでも反省の色は全く見えず、金さえもらえばどんな仕事でも悪徳弁護士を利用して、監獄にいながらにして世間の注目を浴びスターになろうとする。全編に流れるジャズのミュージックも背景として、登場人物たちは常に自分の人生を前向きに捉えていて、それぞれの現状に葛藤を抱えながらも自分の努力で成功を勝ち取ろうとしていく。同じブロードウェイのロングラン作品という意味では、コーラスラインやレントからも人生に対する同様の姿勢が見て取れるだろう。

lincoln center

人生に対する楽観的な姿勢は、よりヨーロッパ的なオペラにすら見られる。今回ミーハーぶりを発揮してNYのリンカーンセンターで、シュトラウスの「ぱらの騎士」とヴェルディの「リゴレット」という有名なオペラを二本も見たのだが、後者の「リゴレット」が衝撃的だった。「リゴレット」は元々ヴィクトル・ユーゴーの戯曲を原作にしているだが、オペラとしての製作過程においてヴェルディは、1830年の七月革命後のフランスの政治情勢がヨーロッパ全土の王権に動揺を与える中で政治的圧力を免れるため、原作の持つ人間性に対する深い洞察を損なわない範囲で、度重なる内容の修正に迫られた。しかし、NYのメトロポリタンオペラは、そんなヴェルディの葛藤などどこ吹く風という感じで、そもそもの舞台設定をヨーロッパではなく、1960年代のラスベガスに移し変えてしまう。ラスベガスらしい鮮やかな衣装に身を包んだ役者たちは、この傑作悲劇すらどこか楽しげに見せてしまう。少し余談だが、リゴレットはリンカーンセンター近くのピザ屋でさらに楽観的、個性的なキャラクターにもなっていた。

rigoletto.jpg

古い文明に縛られた暗いヨーロッパを乗り越えようとする動きは絵画の世界も負けていない。例えば、MoMAこと、ニューヨーク近代美術館。ここには、有名なゴッホやピカソ、マティスの傑作もある一方で、テキサスとゆかりが深いという意味でも、このブログで何度か取り上げてきたアメリカのAbstract Expressionism(抽象表現主義)の作品群も多数展示されている。20世紀半ば、ヨーロッパが第二次世界大戦の戦火にまみれ、更にはナチスによるホロコーストなど、未来に向かって進歩していると信じられていたヨーロッパの文明性を根本から否定する様な出来事が起こると、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコといったアーティスト達は、ヨーロッパの絵画的伝統を否定し、ニューヨークで、「アメリカのアート」を創造し始める。どこまでも各個人の自由な作風を追い求めた運動は世界に大きな反響を引き起こし、50年代には美術の中心はパリからニューヨークへと移るのだ。

ジャクソン・ポロック 『One』
pollock.jpg

バーネット・ニューマン 『Vir Heroicus Sublimis』
newman.jpg

と、ここまで書いて改めて思う。思えば、大きな公園も、ミュージカルも、オペラも、美術館も、ここヒューストンにもあるのだ。どこへ行くにも車が必要であることを除けば、NYとヒューストンでそれ程違いがあるわけでもない。であるならば、今回感じたアメリカ的であることについての探究は、何もNYでなくても、このテキサスの地でも続けていけるだろう。そしてもちろん、人生に対する楽観的な姿勢や、個人独自の価値観への寛容さは文化の世界の話だけではない。僕としては、ビジネスの場でも、家庭や社交の場でも、程度の差こそあれ一貫していると感じており、NYで改めて感じた「アメリカ的なもの」から僕達日本人が何を学べるか、日々の生活の中で意識していきたいと思っている。


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Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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