FC2ブログ
午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
10 | 2018/11 | 12
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

テキサスの2つの勝利の記憶
決して悪気はなかったのだと思うのだけど、最近アメリカ人の知人から聞いた忘れられない話がある。数年前の今週、彼は出張で深い関係を有する企業のある日本に滞在していた。ある日の朝、滞在先のホテルから出張先の日本企業のオフィスに向かうタクシーの中で彼は、アメリカで彼の帰りを待つ奥さんから、その日がとある記念日であることを祝うテキストメッセージを受け取る。それに気を良くした彼は、日本人の同僚ともその喜びを分かち合おうと、オフィスに着いた瞬間こう叫んだ。「ハッピー・ヒロシマ!」その直後、凍りついた表情をしている同僚たちを見て、彼は自分が日本にいることを思い出したという。

思えば今週は僕にとって、アメリカで8月6日と9日を迎えた最初の年だった。日本からのニュースでは、今年も原子爆弾の犠牲者に対する慰霊の様子が報道され、改めて、多くの民間人の犠牲者を出した戦争の恐ろしさと愚かさを再認識させられる。しかし一方で、冒頭のアメリカ人の知人の話は、この歴史的な日に関する一つの違った意味づけを提起する。それは、ヒロシマとナガサキへの原子爆弾の投下は、太平洋戦争におけるアメリカの最終的勝利にとっては、日本の戦争継続の意思を打ち砕いたという意味で、決定的な重要性を持っていたということだ。古今東西の様々な戦争において、その出来事が自分たちの大きな勝利に深く結びついていた時には、その出来事が持っていた他の側面から勝利という側面のみが結晶化される形で、「勝利の記憶」として後世まで語り継がれていくことがある。その意味では、ここヒューストンにも、「勝利の記憶」に関する一つの大きなモニュメントが立っている。

ヒューストンの中心部から見て東、広大な港湾地帯の一角にあるサンジャシントに、天空に突き刺さる様に大きなオベリスクが建っている。以前紹介したバーネット・ニューマンの作品、「壊れたオベリスク」とは対照的に、それが記念するものに関する絶対的な自信を示すかのようにオベリスクはどこまでもまっすぐに立ち、その最上部にはテキサスの象徴である一つ星「ローン・スター」が輝いている。テキサスらしい話ではあるが、この記念碑本体の高さは、ワシントンDCにあるワシントン記念塔と同じであるものの、最上部のローンスターのおかげで世界一高いモニュメントとみなされているのだという。

このモニュメントは、テキサス独立戦争中の1836年、サム・ヒューストン将軍率いるテキサス反乱軍に決定的な勝利をもたらした「サンジャシントの戦い」を記念して建てられたものだ。19世紀前半、同じく今はテキサスの主要都市の名前になっているスティーブン・オースティンに率いられたアメリカ人たちはテキサスへの入植を進めていき、当時テキサスを統治していたスペインとも契約に基づいた平和的な関係を維持していた。しかし、メキシコ独立戦争の結果として新しいテキサスの統治者となったメキシコは、サンタ・アナ将軍のもと、極めて中央集権的な独裁を進め、テキサスにおけるアメリカ人入植者たちの活動に様々な制約を加えていく。両者の不和は1835年にアメリカ人入植者による革命という形の戦争に結実し、初期の段階こそアメリカ人革命軍が勝利を収めるものの、次第に中央からの援軍が合流し圧倒的に戦力に勝るメキシコ軍に対して、革命軍は後退を余儀なくされていく。

特にメキシコ独立の英雄であるサンタ・アナ将軍自身が反乱軍の鎮圧に加わって以降は、サンアントニオにおける有名な「アラモ砦の戦い」を含めてメキシコ軍の勝利が続き、アメリカ人革命軍は長い逃亡の末、ヒューストン郊外のガルベストンまで追い詰められていた。しかし、ここで奇跡が起きる。戦力では圧倒的に勝るといはいえ、長い遠征の疲労が限界に達していたメキシコ軍に対して、アメリカ人革命軍はこのサンジャシントで捨て身の攻勢をかける。結果として革命軍はほとんど犠牲者を出すことなく、メキシコ軍に壊滅的な打撃を与え、サンタ・アナ将軍自身を捕らえることに成功した。サンタ・アナ将軍は自らの命と引き換えに、テキサスの独立を承認させられたのだった。

こうしてサンジャシントは、自身の独立戦争における決定的な「勝利の記憶」としてテキサスの人々の心にいつまでも刻まれることになった。しかし、この勝利の記憶にしても、見方を変えてメキシコ側の立場に立てば、一つの素朴な疑問をもたらす。「そもそも、アメリカ人革命軍にメキシコの土地を独立させる正当性はあったのだろうか?」テキサス独立戦争の歴史的意義について論じることはこの記事の範疇を大いに超えるので、ここでは全く違った認識を持っていた当事者の一人の言葉を紹介するに留めたい。テキサス独立戦争は、新生国家メキシコの独裁によって自らの権利を侵害されたアメリカ人入植者たちが自由のために立ち上がったと説明されるが、その独裁の当事者であったサンタ・アナ将軍はアメリカ軍の捕虜であった間、新生テキサス共和国の高官に対してこう語っている。

(かつてのメキシコ独立戦争の際)私が大いなる熱情とまったき誠実とともに自由のために立ち上がったのは真実です。しかし、わたしはその愚かさがすぐに分かったのです。来たるべき100年に、わが人民は自由に適合しません。彼らは自由を何たるかを知らず、そのまま無知蒙昧であり、カトリック聖職者の影響下にある現状では、独裁が彼らには適正な統治体制なのです。しかしそれが賢明で有徳のものにならないだろうという理由はありません。

生涯、フランスの英雄ナポレオンに憧れていたサンタアナ将軍。フランスが、フランス革命後の混乱の後、ナポレオン時代を経て、国民国家としてまとまっていったことを思う時、彼の時代のメキシコを「独裁」としてのみ語るのは、それはそれで余りに一面的過ぎる見方だろう。

テキサスに残る二つの勝利の記憶に対して、日本人である僕らは、来る8月15日に向けて、悲しみと戦争に対する愚かさの記憶を呼び起こしていくことになるだろう。複数の国や民族の関わりとして、戦争ほど全ての当事者が共通の記憶を持つことが難しいものはない。僕にできることがあるとすれば、全ての関係者が「勝利の記憶」を持てる状態、現代的に言えば、「WIN-WINの関係」を持てる状態を目指して、ビジネスを通じて、そして、自らの思索と文章を通じて、周りの世界に働きかけていくことなのだとは思う。

IMG_0213.jpg
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://ryusozan.blog64.fc2.com/tb.php/24-cd73ed87
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

タツヒコ

Author:タツヒコ
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。