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午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
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音としての日本文化の継承者たち
情報化社会という言葉自体も死語になりつつある程、世界のほとんどの事象が情報としてデータ化され、瞬時に世界に共有されていく現代という時代。近い将来、日本語という言葉も他の言語にあっという間に翻訳され、日本の文化にしても、他の文化との相対的な差異が明確に表現される様になり、その意味で、それぞれの文化が、相互に置き換え可能だと考えられる時代が来るかもしれない。ただそれでも僕は、文化には未だ情報化になじまないいくつかの要素が存在すると思う。その一つが「音」という要素だ。

もちろん「音」にしても、今ではデジタルデータとして、いくらでも電子的に保存、共有されうる。しかし、「音」としての文化の専門家である、「音」のアーティスト達の生のパフォーマンスを目の当たりにする時、そこには、デジタルデータとしては拾いきれない、より豊かで複雑なものが立ち現れている様に感じられる。ましてや、その表現者たちが、過去から受け継いだ文化の伝統に、他の文化から摂取した要素を加えて、新たな表現を作り出そうとしているのであればなおさらだ。そのことを感じさせる二つのイベントが、今週末ヒューストンで開かれていた。

一つは英語落語。カナダ人として生まれた桂三輝(サンシャインと読みます)氏は、日本の古典芸能に興味を持って1999年に来日した後、特に創作落語の魅力に魅せられて、5年前に創作落語の大家である当時の桂三枝(現在の六代目桂文枝)師匠に弟子入りをした。師匠が「黒」と言えば白いものでも「黒」だと思わなければならないという絶対的な上下関係の伝統の中で厳しい修行に耐えてきたのは、いつか師匠の創作落語を英訳し、英語落語として北米で演じてみたいという夢があったからだった。その念願がかなって今回、カナダ・アメリカの各都市を回るというツアーが実現し、今週末にヒューストンに来たというわけだ。

二日間にわたって開かれた講演には、アメリカ人を中心に多くの観客が集まり、最初に古典落語、次に創作落語を英語で披露するという二部構成で行われた。舞台芸術としての落語には、手の動き、体の動き等の視覚的部分もその不可欠の要素を占めている。ただやはり、「話家」という落語家の別名が示す様に、落語の魅力の根幹は、「音声」として表現される言葉の面白さにあるだろう。その点、日本語で表現されることを狙って作られた創作落語が英訳された時に、その面白さが保たれるのだろうかという不安があったが、実際には会場は終始、笑いの渦に包まれていた。

その面白さの理由はおそらく、自身の体験もベースにして、英語スピーカーにとっての音声としての日本語の面白さに焦点を当てているからだと思う。例えば、日本語には57種類の感謝(gratitude)を表す表現があると切り出す。そして、「ありがとう」「どうもありがとう」「どうもありがとうございます」と音声表現を例示していき、どうも日本語というのは音声が長ければ長いほど、感謝の意味合いが強いらしいと展開していく。そして、最上級の感謝の表現は、とても長い「音」として表現され、日本語の意味がわからない観客も、その長く大層な響きからとても深い感謝が表現されているんだろうと期待する。しかし、オチを聞いてみればその表現とは、「あなたの御厚意に対しては感謝の言葉もございません」であり、英語にしてみれば、何のことはない、"I have no word to show my gratitude"というわけだ。日本語の複雑な音声と、英訳された時の的外れな意味のギャップを絶妙に捉えてはいないだろうか。

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もう一つがより純粋な「音」としての文化である音楽。落語講演が終わった夜、ロサンゼルスを中心に活動する太鼓奏者であるショージ・亀田、ニューヨークを中心に活動する篠笛と太鼓の奏者である渡辺薫、同じくニューヨークを中心に活動する三味線と琴の奏者兼ヴォーカリストである金子純恵のトリオによる演奏会が行われた。

落語の様な言語芸術であれば、現代的なテーマを取り上げることで、時代に適応した新たな内容を創作していくことはより容易かもしれない。一方、太鼓、笛、三味線、琴といった日本の伝統的な楽器は、能や日本舞踊の様なそれらの楽器が引き立てる古典芸能とも結びついて、伝統を守ることが重視されがちだ。しかし、長くアメリカで活動してきた3人のアーティスト達は、アメリカの様々な音楽ジャンル、特にジャズの持つ自由な表現力を吸収し、僕達の想像を遥かに超える豊かな音楽表現を作りあげていた。

太鼓も、琴も、三味線も、時に、残像が見えるほどの速さでかき鳴らされ、その躍動感はロックや、先日ニューオーリンズで出会ったジャズを思わせる。それでいて、金子純恵のヴォーカルの中で、「雨」、「風」、「月」、「花」といった言葉で表現されていた様に、渾然一体となったその響きは、その奥底に豊かな日本の四季折々の姿を連想させ、演奏を聴く僕の目には、その先に自らの故郷の自然が浮かんでいた。元々日本文化において、伝統的な楽器や音楽自体が、人間に対して時にやさしく、時に荒々しい自然に対する儀式の意味を強く持っていたことを考え合わせれば、彼らの音楽はあくまで日本の伝統的な音楽的伝統の上に立っているのだろう。

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日本語や日本の文化が持つ豊かな「音」。それは容易にデータ化できないものである一方で、かといって他者には理解不可能というわけでもなく、ここヒューストンでも今回、確かにアメリカ人たちの心に響いていた様に思う。アメリカやその文化と対峙する中で、伝統をベースに新たな表現を作り上げようとするアーティストの皆さんの創造力と努力に対しては、僕としては、心の底から感動して、感謝の言葉も見つからないのだ。


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アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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