午後23時、アメリカ南部にて
アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する筆者が当地にて感じた様々な事柄をお伝えします。
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ニューヨークでアメリカ的であることについて考えてみた
サンクスギビングの連休を利用してニューヨークに行ってきた。恥ずかしながら30歳過ぎて初めてのNY、憧れのスポットの数々に感激するばかりだったが、この街は僕に改めて「アメリカ的であるとはどういうことか?」という疑問を喚起させた。訪れたいくつかの場所を手がかりに、僕なりの初NYについて書いてみたい。

朝のセントラルパーク、よく整備された園内を歩きながら思索にふけってみる。このNYは一見、自分が暮らすテキサスとは随分違う様に見える。それでは、アメリカ全土に共通するアメリカ的なものがあるのだろうか、あるとしたらどんなものだろう。ふと顔を挙げると、大きな池の向こうにNYの町並みが見える。古くからの町並みが残るこのエリアは、建物にもヨーロッパ的なものが多く、セントラルパークを頭の中でハイドパークに置き換えれば、自分が今ロンドンにいる気分になってくる。

central park

そう、やはり様々な面で、アメリカの原点はかつての本国であるヨーロッパなのだ。絵画や演劇といった文化の面でもアメリカ文化はヨーロッパの伝統を下敷きにしている。しかし、全てがヨーロッパと同じというわけでもない。アメリカへの初期の入植者達が、伝統的な身分制度に縛られ、また、宗教的にも制約の多いヨーロッパを離れ、アメリカに理想の新世界を求めた様に、文化の面でもヨーロッパ的な伝統を乗り越え、アメリカ的な新しい価値を打ち出そうという試みが色々と行われてきた。そして、僕の個人的な考えとしては、アメリカ的な価値の中心は、現実世界に対する楽観的な態度と、個人独自の価値観への寛容さだと思う。今回訪れた場所から、そのヒントを見てみたい。

例えばミュージカル。憧れのブロードウェイで、4年前にロンドンでも見た「オペラ座の怪人」を見てみた。ロンドンが生んだミュージカルの天才、アンドリュー・ロイド・ウェバーが製作したこのミュージカルを初めて見た時、僕はいかにもヨーロッパ的な作品だという強い印象を受けたものだった。あくまでヨーロッパの歌劇の伝統に基づいた作曲もそうだが、何より、生まれつきの不幸な境遇によりオペラ座に縛られた怪人、そしてその呪われた存在の寵愛を受け危うい成功を収めていくヒロインという設定だ。そこには、自分のみを頼りに人生を切り開こうという姿勢は弱く、怪人の存在にはヨーロッパの戯曲にしばしば見られる人生の悲劇性が投影されている。

対してブロードウェイでのアメリカ生まれのミュージカルの代表といえばシカゴ。正確にはヒューストンにツアーに来ていたNYの劇団の公演を最近見たのだけど、このミュージカル程アメリカ的価値観を代表しているものもないと思う。主な登場人物たちは愛人や夫を殺害した女性の囚人達。それでも反省の色は全く見えず、金さえもらえばどんな仕事でも悪徳弁護士を利用して、監獄にいながらにして世間の注目を浴びスターになろうとする。全編に流れるジャズのミュージックも背景として、登場人物たちは常に自分の人生を前向きに捉えていて、それぞれの現状に葛藤を抱えながらも自分の努力で成功を勝ち取ろうとしていく。同じブロードウェイのロングラン作品という意味では、コーラスラインやレントからも人生に対する同様の姿勢が見て取れるだろう。

lincoln center

人生に対する楽観的な姿勢は、よりヨーロッパ的なオペラにすら見られる。今回ミーハーぶりを発揮してNYのリンカーンセンターで、シュトラウスの「ぱらの騎士」とヴェルディの「リゴレット」という有名なオペラを二本も見たのだが、後者の「リゴレット」が衝撃的だった。「リゴレット」は元々ヴィクトル・ユーゴーの戯曲を原作にしているだが、オペラとしての製作過程においてヴェルディは、1830年の七月革命後のフランスの政治情勢がヨーロッパ全土の王権に動揺を与える中で政治的圧力を免れるため、原作の持つ人間性に対する深い洞察を損なわない範囲で、度重なる内容の修正に迫られた。しかし、NYのメトロポリタンオペラは、そんなヴェルディの葛藤などどこ吹く風という感じで、そもそもの舞台設定をヨーロッパではなく、1960年代のラスベガスに移し変えてしまう。ラスベガスらしい鮮やかな衣装に身を包んだ役者たちは、この傑作悲劇すらどこか楽しげに見せてしまう。少し余談だが、リゴレットはリンカーンセンター近くのピザ屋でさらに楽観的、個性的なキャラクターにもなっていた。

rigoletto.jpg

古い文明に縛られた暗いヨーロッパを乗り越えようとする動きは絵画の世界も負けていない。例えば、MoMAこと、ニューヨーク近代美術館。ここには、有名なゴッホやピカソ、マティスの傑作もある一方で、テキサスとゆかりが深いという意味でも、このブログで何度か取り上げてきたアメリカのAbstract Expressionism(抽象表現主義)の作品群も多数展示されている。20世紀半ば、ヨーロッパが第二次世界大戦の戦火にまみれ、更にはナチスによるホロコーストなど、未来に向かって進歩していると信じられていたヨーロッパの文明性を根本から否定する様な出来事が起こると、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコといったアーティスト達は、ヨーロッパの絵画的伝統を否定し、ニューヨークで、「アメリカのアート」を創造し始める。どこまでも各個人の自由な作風を追い求めた運動は世界に大きな反響を引き起こし、50年代には美術の中心はパリからニューヨークへと移るのだ。

ジャクソン・ポロック 『One』
pollock.jpg

バーネット・ニューマン 『Vir Heroicus Sublimis』
newman.jpg

と、ここまで書いて改めて思う。思えば、大きな公園も、ミュージカルも、オペラも、美術館も、ここヒューストンにもあるのだ。どこへ行くにも車が必要であることを除けば、NYとヒューストンでそれ程違いがあるわけでもない。であるならば、今回感じたアメリカ的であることについての探究は、何もNYでなくても、このテキサスの地でも続けていけるだろう。そしてもちろん、人生に対する楽観的な姿勢や、個人独自の価値観への寛容さは文化の世界の話だけではない。僕としては、ビジネスの場でも、家庭や社交の場でも、程度の差こそあれ一貫していると感じており、NYで改めて感じた「アメリカ的なもの」から僕達日本人が何を学べるか、日々の生活の中で意識していきたいと思っている。
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アメリカのテキサス州ヒューストンに駐在する商社マンです。

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